【プレイヤーインタビュー】ヴァンさん(チーム福島)

今回インタビューさせていただいたのは、東北で福島CSや仙台CSの運営スタッフを務め、自らも黎明期よりCSへ参加するヴァン(24歳)さんです。

ピエロ型イメンや、現在の黒単ヘルボロフの基礎であるブラッドレイン型ヘルボロフなどを開発してきたヴァンさん。
近年では白青ロージアダンテを世に送り出したDM界屈指のデッキビルダーである彼は、どのような人物なのでしょうか?

 

■経歴
*運営歴* 第1,2回福島CS:フロアジャッジ 第3回仙台CS:フロアジャッジ 第5回仙台CS(チーム戦):フロアジャッジ
*入賞歴* CS:プレイヤー個別戦績(ヴァン選手)

 

■インタビュー
――本日はよろしくお願いいたします。まず、デュエルマスターズはいつごろからプレイされてるんですか?
「小学生の頃、第1弾から遊んでいます。公式大会出るようになったのはずっと後で、当時はみんなと遊んでたって感じです」

――最初はそんな感じですよね、僕も友達にカード分けてもらって遊んでました。
「地方に住んでるのもあって、そうなるのは必然ですね。ただ、デュエルロード(デュエ祭り以前の公認大会)が始まったころからデッキは自分で考えていました」

――ヴァンさん、独創的なデッキを作ってらっしゃいますよね。一人で考えて、形にするんですか?
「アイデアを考えているときは一人です。細かい調整は対人でやっていますが、それ以外はほとんど一人で考えて組んでいますよ。 まあでも、大体は思い付きで組んでいるだけです(笑)」

――では、これまでのデッキについてお聞かせください。僕が大型大会に出始めたのは覚醒編からなのですが、そのころやそれ以前のデッキはどうでしょうか。
「昔は今ほど変える余地がなかったので、”自分のデッキ”と言えるほどのものはなかったような…?第4回関東CS(2011年)で不滅オロチのエナジーライトクロックタワーにしてた、ぐらいですかね。テンプレ構築からほんの少し変えていた程度だったと思います」

――PS期のドロマーハンデスのようなデッキは、確かにリストがほぼ固定されてましたね。呪文とクリーチャーの比率までほとんどの人が一緒で、それ故にプレイングの精度が試合結果に直結していた時期だったと記憶しています。
「そうですね。一部除くと、旧枠のカードは1枚1枚が弱いので構築を変えられる部分はありませんでした。
ただその分、あの時代はプレイが難しかったのでいい経験でもありました。多分、あの時代を経験していなかったらデュエマを続けてないと思います」 

――CSというイベント形態が遊戯王から輸入され、確立されたのもこの頃だったかと思いますが、CSに出始めたのはいつ頃ですか?
「初めて出たのは第2回の関東CS(2010年)です。ドロマーのハイドロハリケーンを使っていました。結果は3-2でしたが…」 

――あの時代は、CSの予選を抜けるだけでも一苦労でしたよね。
「特に関東CSは大変でした。第3回~第5回まで、4-1予選落ちを続けています(笑)」 
※当時の関東CSは予選5回戦、1敗でもオポネント次第で予選落ちしていた。そんな厳しい方式ながら、予選から2本先取ということもありトップレベルの競技イベントとして人気を博した。

――継続して遠征していらっしゃったと。
「CSが少なかったですからね。出れるところが年に2回(関東・仙台)しかありませんでしたから、遠征していました。関東へ行くときは、地元の人の車に乗っけてもらってましたね」 

――あーさんやUMEBAさん(両名とも仙台の古豪)と知り合ったのも、遠征していたころですか?
「UMEBAさんはラスゴ(第1回レジェンドCS優勝の”初代レジェンド”)さん経由で、あー君は宮田(第7回関東CS主催)経由で知り合いました。CSでというより仙台に行ったのがきっかけですね。
仙台までは大した距離でもないので、何度か遊びに行っていました」 

――ありがとうございます。話をデッキリストに戻しまして、僕が驚いたヴァンさんのリストはまず”闇単ヘルボロフ(ブラッドレイン入り)”ですが、これはどんな経緯で採用を?
「燃えろドギラゴン(2015/6/20発売)が発売した週にすぐ入れましたね。事前に公開されてなかったブラックサイコのテキストを見てビックリしましたよ。ウェルカムヘルで出てくるし、なんだこれは…という感じでした(笑)」 

――確かに、ブラックサイコは二度見してしまうテキストでしたよね。
「ただ、調整が上手くいかなくて…赤単やNEXT相手にどう詰めていくか、悩んでいました。元々はブラッドレインかトリッパーのうち、片方だけを入れてアレコレ試してたんですが、仙台CS直前に両方入れればいけるのでは…?と思い、あんな感じになりました。

当時の黒単はヴェイダーがなく、リソース供給が薄かったんですね。なので、1枚のカードで1ハンデスだけでは自分も詰まってしまうので、そういった構築は違うなと。特に、当時流行していたNEXTは受け札が限られており、今よりも尖った構築が多かったんです。
あのデッキを受けきってから盤面を整え、殴るのは無理がありました。

そのため、対NEXTは”縛る”のではなく”殴りきる”と考え、実験すると上手くはまってくれたので、レイン+トリッパーは成功でした。ただ、自分が使用した時はイベント直前に作り上げた構築で、赤単相手は運ゲーになってしまっていました。
せめてファンタズムクラッチを用意してれば・・・と悔やまれます」

――イベント直前の時間がない中でデッキを組み上げるのって、難しいですよね。
「ええ、これに限った事ではないですね(笑)
最近でいうと白青ロージアダンテのホーリー+ジェイルもそうです。
中村君が書いた白青ロージアXIIを見ていただければ分かりますが、色んな形のミラダンテXIIを試したうえで、最終的に出来たのがアレです。

喜多方CSに持ち込むつもりでずっと考えていて、当日の夜中の3時頃に原型が出来ました(笑)
時間が時間だったので思考が鈍っていましたが、形にできたのは奇跡です。

ただ自分の結果は3-2。身内の黒赤バスターと5cジャックポット相手にミスで負けました。
当日のリストはカーネルなしで、オリオティスティグヌスが入っていたので調整不足がもろに響いた結果ですね」 

――年々、調整時間が無くなっていくのはよくわかります。
「自分のメインの調整は一人回しなので、デッキを作る・考えるだけなら問題ないのですが、対人戦を中々出来ないのが結果に繋がらない理由かなと。
たまに中村君とやりますが、それ以外はほぼ一人です。地元の人達とも週1でやりますが、離れているので時間を取りづらいんですよね」 

――年取ってくるとそうなりますよね…そういえばイメンのピエロもヴァンさんだったかと思いますが、アレもそんな感じで組んだんですか?
あれも思いつきだったと思います。あの時は黒単が強いんだなって程度しか知らなかったので、本当によく勝てたなと」 

――思い付きを形にできるのはすごいですよ。さて、ヴァンさんは福島CSに携わっていらっしゃいますが、福島CSはどのような経緯で開催に至ったのでしょうか。
第1回(2012年)の時は震災翌年というのもあって、”盛り上げたい”という思いがありました。初期のCSサポートの話もある程度聞いていたので定期的に開催したいなと思っていましたが、運営が集まらず…ずっと出来ませんでした。
E2からDSまでDM熱は落ち込み気味だったのですが、Rev以降は地元の繋がりが増えたおかげで、4年ぶりに第2回が開催出来た感じです。
まぁ、自分はジャッジ頼まれて乗っかっただけなので周囲のおかげです!」 

――震災当時は、あーさんやUMEBAさんらがタカラトミーからの依頼で慰安に回っていたこともありましたよね。
「ありましたね。自分は行ってないので詳しくその話を出来ないのは残念ですが、DMで楽しんでくれたと聞いた時は嬉しかったです」

――ありがとうございます。最後に、言い残したこと等あれば是非!
「まずは結果を残したいです。切実に。
そして、これからも記憶に残るような変なデッキを作れたらなと!(笑)」

――地方だとイベントが少なくて、結果を残すのも大変ですよね。
「今は小規模のCSが増えてきたのでチャンスは多くなってますが、デッキを作るのが楽しくて色々作ってしまう悪い癖が・・・。
来週出る予定のイベントのデッキもまだ決まってないんですよ(笑)」

――デッキ作りが楽しいのはいいことだと思います! そんなこんなで 遅くまでありがとうございました。
「考えるのが好きなんです!
お話しできる機会を頂いて、こちらこそありがとうございました」

 

 ■インタビューを終えて
僕がヴァンさんとお会いしたのは、第5回関東CSの時。当時から強かった東北勢の一人と伺っていました。
今回、お話しいただいた中で印象深いのは「PS期を経験していなかったらDMを続けていないかも」という一言。自分もあの時期のデュエルマスターズに影響を受けている部分が大きいので、共感できる言葉でした。

そんな超次元導入からも、はや6年以上が過ぎようとしています。その間、デュエルマスターズは大きく変わってきましたが、ヴァンさんの構築力は衰えず。
思えばえじま君やphalanxも変わらぬ構築力の高さを誇っていますし、ゲームの本質を見抜いている人はいつの時代も強いのでしょう。

今後とも、ヴァンさんが独創的なデッキを使って結果を残し続けられることを祈っています。


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