【プレイヤーインタビュー in 静岡CS】dottoさん(チーム岡山)

初めて関東を離れ、関西での開催となったGP3rd。今回インタビューさせていただいたのは、その関西で活躍するトッププレイヤー、dotto(22歳)さんです。

”ストイック”と評される妥協のないプレイスタイルを貫き、長らく子供向けとされてきたデュエマにおいて珍しい部類に入る競技的なプレイヤー、dotto選手。環境が変わってもなお勝ち続ける彼は、いったいどのような人物なのでしょうか?静岡CSの場をお借りしてインタビューさせていただきました。

 


■経歴
*運営歴*
第6回岡山CS:フロアジャッジ

*入賞歴*
プレイヤー個別ページ:dotto選手

 

■インタビュー
――本日はよろしくお願いいたします。まず、デュエルマスターズはいつごろからプレイされてるんですか?
「小学3年生か4年生か…DM-5の頃からだったと思います。ラ・バイル等のデッキを2-3個買いましたね。
プレイが難しい時期もありましたが、そこからはずっと止めずに出来るだけ続けていました」

――最初はご学友と?
「そうですね、最初は友人とプレイしていました。彼にいろいろ教えてもらいましたね。
そのうち”友人より強くなりたい”という思いが芽生え、小学5年生の頃には友人を倒せるようになっていました。
今思い返すと、小学生の頃ってよくわからないこだわりを持ってました。デッキは文明ごとに1つ作るとか…」

――僕もやってました(笑) カードショップへ行くようになったのはいつからですか?
「中学からです。
小学校の頃は”学区外まで子供だけで遊びに行ってはいけない”と言うルールがあったのですが、僕らの学区内では大会が開催されていなかったんです。友人とデッキを持ち寄ってトーナメントしたり、という日々でした。1つ下の友達は親に大会へ連れて行ってもらったりしていて、羨ましかったですね。

中学生になった春、コロコロに掲載されていた大会予定を見て調べ、初めてショップ大会へ。方式は3ゲームマッチ。
使ったデッキは【バロム+アルカディアス+アウゼス】。光闇という色構成が好きだったんです。友達の中では負け知らずでした。
しかし意気揚々と大会へ出たはいいものの、初戦の相手が【シータサファイア】で…」

――Oh..
「1ゲーム目を落とすも2ゲーム目に《悪魔神ドルバロム》を投げつけて勝ち。3ゲーム目は惜しいとこまで行ったんですが、相手にトップで《ボルメテウス・サファイア・ドラゴン》を引き込まれて負けました。本当に惜しかったんですけどね…。
当時は”こんなデッキがあるんだ…”と衝撃を受けました。

その後も大会には通いましたが、ショップにいた人たちは強くて中1の間は優勝できず。いつも優勝している人に勝ちたいなぁと、ずっと思っていました」

――友人間のデュエルとは別世界だったと。
「結局、初めて優勝したのは中2の冬。
実はそれより2カ月前に転機がありました。ネットを使えるようになって、ようやく”ガチ”と言う考え方に触れることが出来たんです。CGIexでずっとガチデッキを回して、理解しようと努めていました」

――vaultではなく、CGIexから入ったんですね。
「やってみたいという気持ちはあったんですが、vaultは怖かったんですよね…初心者お断り、という雰囲気があったので。あのころは登録規制(※)もあって、どのみち登録できなかったんですが。
そう思っていたある日、ネットで知り合った友人が”25時ごろなら登録できるようになってるぞ”と教えてくれたんです。親切な人に操作も教えてもらって、中2の3月ごろからはvaultでプレイするようになりました」
※当時のDM vaultはユーザ新規登録をほとんど停止していた。

――vault、”ミス戻さないでください。ガチのみ”という文化があったりして、敷居が高く感じられるのはわかります。
「や、その文化って昔はなかったんですよ。厳しかったのは教えて君のような人種に対してで、プレミの巻き戻しには皆優しかったですね」

――そうなんですか!?
「自分が離れていた覚醒編前後…ほろさん(ランド)がいた時代に成立した文化だったと記憶しています。戻ってきたら操作ミスすら戻させてもらえなくなっていて、ビックリしましたよ。

話を戻しますが、3月ごろにvaultの操作を覚えて大会にも出るようになりました。当時のランキング上位にはキラ・ヤマト(広島の強豪)さんらがいらっしゃいました。
驚いたのは、当時のTOP3の中に近所の人がいたこと。ショップ公認でずっと優勝していたあの人でした」

――すごい偶然!
「極楽さんは山口の方なんですけれど、vaultを作った時に近隣の広島勢なんかを誘って使ってもらっていたそうです。実際、キング期のランキングの上から6人は全員広島勢。なので、必然と言えば必然だったのかもしれません。
これがキリコ期になると、上3人が愛知勢になっていました。

そんなランキングですが、苦闘の末に自分が1位に到達したのは中3の6月。あんまり嬉しかったんで、学校で同じデュエマ趣味の友人に報告したんです。ところが、家に帰ってみると3位に…」

――あれ?vaultって、昼間に順位が変わることはないですよね。
「その時丁度ポイント計算式が変わったんですよ…それで3位に落ちてしまって、本当に1位だったんだよ!って言い訳する羽目に(笑)
昔の計算式だった時代の最後の1位だとも言えるので、これはこれで良かったかもしれません。

現行の計算式だと、ポイントの下がる要素が強いですよね。変わってからはキラさんの壁が厚くて、トップにはなれませんでした。2位がKレモンさん、3位が自分と言う感じでしたね」

――vaultでも優勝目指して活躍されていたということですね。ちなみに、CSへはいつごろから?
「CSと言えるかは少し怪しいかもしれませんが…中学を卒業するとき、カードキングダムの非公認に出たんですよ。交通費だけで片道1500円飛んで行ったのを覚えています。
自分が持ち込んだのは赤青速攻で、結果は優勝!同じデッキをvaultにも持ち込んで、決勝へ行きました」

――初出場初優勝はすごい!
「…ただ、デュエマをがっつりプレイできたのはいったんそこまで。高校へ進学するとともに寮へ入り、たまに実家へ帰った時にvaultをプレイするのみの生活になりました。だから僕、キリコやオロチの時期はプレイしていないんですよ」

――空白期間があると。
「そうですね。
ただプレイはしていなかったんですが、メタゲームの様子は知っていて。キラさんが毎週、僕のために環境の情報をメールで送ってくれていたんです。

結局高校3年間、リアルではほとんどカードを触れませんでした。公式大会もなんとか1度だけ出ましたが、事故ってベスト64どまりでした」

――大学に入ってから、再び戻ってきたという感じなんですね。
「ええ、進学後はDRにvault大会とデュエマ漬けの日々に戻りました。久々にvaultへ潜り、”ミス戻さないでください”と言われたときはビビりましたね。自分のミスは戻さず、相手のミスは戻しても良いという精神でプレイしました。

そこからCSにも出るように。最初は第2回の広島CSで、地元のショップ仲間に誘われてと言う感じです。
僕の住んでいた広島の福山市は岡山県に近くて、CSの時なんかはましまろさんやポリゴンさんにお世話になりました。
やもさんに会ったのもこのころだったかな。向こうは中3で出たカーキンカップの時に僕を見かけていたそうで、それで話しかけてくれました」

――004若院契約プロ/認定ジャッジ)と会ったのもこのころ?
「004との初会話がいつだったか、実はあまり覚えてないんです。発岡勢のやもや積み木経由で知り合ったんだと思います」

――それまでもっぱらvaultでゲームを楽しんでいたdottoさんですが、リアルの大きな大会に出てみてどうでしたか?
「リアルとネットの間にはギャップがあると感じましたね。まずメタが違うんです。
そのことを理解して、CSの環境に合わせてデッキをチューンするようにしてからは勝てるようになりました」

――次に、影響を受けた方について教えてください。
「やはり、キラさんです。ずっと目標としてプレイしてきましたし、一番影響を受けている自覚があります。今はもう出ていらっしゃらないですけどね」

――dottoさんも最近はあまりCSへ出られてないですよね。
「社会人になるとちょっと時間が…。
ネット環境はありますし、大会前にはなるたけ調整するようにしてはいるんですけれど、大学を出て以降は満足できるデッキで大会に出たことがないんです。
今年のおやつ中部のチーム戦で使った赤黒バスターは結構良かったかなと思えたのですが、反面、入賞したおやつ関西のルネッサンスには満足できていません。
今までは時間がなくても直感的に強いデッキを選べていて、ある程度満足できていたんですけれどね…」

――学生時代とはやはり違うと。
「大学の1,2年の頃はバカみたいにプレイしてましたからね。その頃の貯金があったおかげで、3,4年次に時間が無くなっても勝てていたのかもしれません。
ヒラスネの頃なんか、全てのデッキを回して相性表を作ろうとしてましたよ。流石に作り切るとこまではいきませんでしたが…その反省から、効率的な調整を心がけるようにはなりました」

――dottoさんと言うと、黒単を使っていたイメージがあります。
「黒単は経験がプレイ精度に直結するデッキでしたし、当時はメタの変化が穏やかだったので使えていました。
今はメタが目まぐるしく変わるので、もうあの手は使えないですね。自分だけでは調整しきれないので、いろんな方の情報を聞きたいと思っています」

――今後のデュエマに望むものはありますか?
「今の流れは歓迎しています。今後も競技的な方向を目指していただければなと。
他の面で言うと、レアキラーズなんていいですよね。自分は小学生に教えたりするのが好きなので、やってみたいです!」

――最後に何か一言!
「レアキラーズのような、公式スタッフとして活動するのには憧れます。今後増えていってほしいです!」

――ありがとうございました。

 

■インタビューを終えて
僕がdottoさんとお会いしたのは、2016年の年初め。おやつCS後に岡山+岐阜勢という珍しい組み合わせの飲みがあったんです。
就活、卒論が襲い来る中で大会を戦い抜いたdottoさんは疲れ切っており、死にそうな顔で飲んでいました。横では004がいつも通り愉快に騒いでいて、テンションがあまりにも対照的だったのでなんだか心配になったのを覚えています。

そんなdottoさんが社会人となり、変わらず競技プレイを続けていらっしゃるということで今回インタビューさせていただきました。
社会人になってなかなか時間が取れず…とは仰っていたものの、お元気そうでよかったです。

今後も、dottoさんが楽しくデュエマをプレイされることを願っています。


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