DM史:15年間を礎に

15年。
デュエル・マスターズが始まってから、15年。
2017年度の日本一決定戦、あの場所に至るまで、15年。

多くのプレイヤーが現れ、そして去っていった。
公式大会で勝ち抜いた選手。CSで優勝した選手。
皆、現れては去っていった。

全員の名を挙げられるわけではない。けれど、誰1人知らずに過ごしているわけでもない。

初代日本一である大日向。
日本一に3度輝いた”絶対王者”hiro
ネクラギャラクシーで頂点に立ったPULU
《アンラッキーダーツ》で《光牙忍ハヤブサマル》を引き抜いて見せたPhoenix。
白青マーシャルで”鬼面サーフ”の名試合を生んだあばばば
自分の好きなデッキを信じた”天門のカギを持つもの”じゃきー
GP優勝と日本一、2つの称号を唯一持つせいな

CS入賞数では群を抜く実力者、ユウキング。
第1回レジェンドCSに《ビースト・チャージ》を持ち込んで優勝をかっさらったラスゴ
史上最大の個人戦CSで優勝したカロン。
第2回レジェンドCSで鮮やかなループを披露したロマノフsign

 
 
 
日本一。CS。
 
 
 
 
各々の分野である種の頂点に立った彼らはしかし、もう1つの分野で頂点に立つことは叶わなかった。
日本の頂点に立ち、他方でCS入賞数トップを誇る。そんなのは絵空事だった。
15年間、そうだった。
 
 
 
だが、今年の日本一であるdottoは違う。
 
 
 
dottoはもともと、”CSにおける強者”に該当する選手だ。DM:Akashic Recordのランキングでは4位につけ、2016年度までのCS優勝は7度。そこには黎明期から続く伝統あるイベント、おやつCSでの実績も含まれる。
高い実力を持っているのは明らかだ。なのにエリア予選でだけ勝利に見放される。

2017年度もそうだった。エリア予選での優勝は叶わなかった。
だが冬に入ってからCS優勝を重ね、DMPランキングを駆け上がり、1位に輝いた。

その”CSにおける強者”が、日本一になった。

 
 
今年の日本一は”違う”。
あの日、戦いが終わった後にそう感じた選手たちがいる。
今までと違う何かを見せられた。このゲームに対する自分たちの認識は間違っていたんじゃないかと思わされた。
決勝戦でdottoを相手取ったちゃそも、その1人だ。

「悔しかったですよ。負けたのもそうですし、あの日までの自分が”デュエル・マスターズなんて努力してもしなくても結果は変わらないでしょ”なんて思ってしまっていたことも悔しい。
 でもね…それ以上に楽しかった、面白かったんです。デュエル・マスターズというゲームの深さに、彼が気づかせてくれたから」

 
 
あの日、何があったのか。
あの場で、どんな想いが交わされたのか。
 
 
 
取材を申し込むと、dottoは快諾してくれた。

「夢だったんです。全国大会に出るの」

そう話す彼は、落ち着いた声で振り返る。

2018年3月11日。
日本一決定戦が行われた、あの日のことを。

 
 
 
 
 
 
dottoは長い間、全国大会への出場を願っていた。エリア予選への出場は7度に及ぶ。
だが、勝てない。

決して間違ったデッキを使っているわけではない。ベスト8入賞を果たしたこともある。
けれど、勝ちきれない。
ゲームそのものに見放されたのではないかと思ったことすらある。

2013年、E3期。
中国エリア予選に出場したdottoは、3人卓に案内される。意気揚々と対戦の準備を始めたdottoだが、結果は最悪だった。
予選を終えた時点でdottoがプレイ出来たカードは0。手札には高コストのカードだけが溜まり続けた。
彼のエリア予選は、始まりすらしなかった。

12月に行われた今年度のエリア予選で使ったのは、赤ジョーカーズだと言う。同型対決を嫌い、メタる側に回るべくビートジョッキーの使用を避けた。
だが、ともに調整したピカリがビートジョッキーを使って優勝する。またdottoは勝てなかった。

いつもならここで全国への挑戦は終わっていただろう。だが今年は違う。全国大会出場権が、DMPランキングの上位報酬にある。
権利を得られるのはわずかに3名だが、dottoにとって無謀な賭けではなかった。
彼には勝算があった。

 
 
 
9月に行われたGP5thでの敗北をきっかけに、dottoは奮起していた。
GPが終わるや否や出場できるCSに片っ端から登録し、土日は大会を最優先にした。

熱意が結果に結びついたのは11月。白緑メタリカを手に、4週連続のCS優勝を達成した。30〜40位付近だった順位は一気に1桁へ。

「この時、”行けるかも”と思ったんです」

そう語るdottoは、12月のエリア予選以降も関西で特に使用者が増えたメタリカと戦いながら白星を重ねた。
メタリカが増えたのは彼の影響に他ならない。請われれば分け隔てなく教える性格が故だ。
自身の技術を教えてもなお、勝てる。それがdottoだ。

自分が最高のチャンスを手にしていると分かっていた。憧れたあの場所が、これほど間近に見える機会はなかった。全国大会が手の届く距離にあることを理解していた。
だから、彼は走り続けた。

 
 
 
ランキング集計期間の終盤、デッドヒートが始まる2月。dottoはCSへ出るたび、そこで会う選手たちから「頑張ってください」と声をかけられるようになっていた。

下旬。順調にポイントを積み重ねていた彼のTwitterアカウントにダイレクトメッセージが届く。
ランキングのTOP3を争うdarkblueからだった。

「2月25日、オーズCSで決着をつけませんか?」

dottoは、darkblueと対戦したことがなかった。darkblueと同じ会場にいたことはあっても、ともに3人チーム戦へ出場したことはあっても、マッチングしたことはない。
そのdarkblueが決着をつけようという。集計期間最終日、同じイベントで戦おうと。

dottoを避けて別のイベントへ行き、ポイントを稼ぐことも出来ただろう。
だが彼はそうしなかった。だから、dottoもそうしなかった。

 
 
 
結局、そのイベントでも彼らが対戦することはなかった。だが1つの決着がついた。

dottoは5位入賞。
darkblueはポイント圏外の戦績。

「とても悲しそうな顔をされていました」

dottoはそう語る。darkblueもオーズCSの結果はショックだったと認める。

「自分は、ランキングで3位に入れるかどうかギリギリのラインにいたんです。同じ愛知のロマノフsignとほとんどポイントは一緒で、気が気じゃなかったですよ。
 オーズCSの日も、彼が出ていた津CSのオンラインペアリングを見て状況を確認し続けていました。そうしたら向こうは最初の3回戦で3勝していたんです。一方の自分はポイント圏外で、正直終わったと思いました。
 でも最終的にロマノフsignも3勝3敗でポイント圏外になって…もし彼があと1勝でもしていたら、自分は全国大会に出られなかったでしょう」

全国大会出場が正式に決まったのは、2月26日。その日まで、darkblueは心休まる暇がなかったと言う。
だが、3月11日の全国大会まであとわずか。出場権利を獲得したからといって休めるわけでもない。

dottoとてそうだ。
あばばばとピカリを交え、ランキングが確定するとすぐ最終調整へ移った。

 
 
 
dottoにとって、調整とは選択肢を消す作業だ。数あるアーキタイプをひたすら試し、実用に耐えぬものを候補から消す。
作業場として選んだのはカードボックス江坂店。火曜と木曜の夜に行われる調整会は、恒例のイベントになっていた。

dottoは、メタゲームの中にいるデッキを全て持つようにしている。今に始まった事ではない。6年ほど前からずっとそうだ。
山と積まれたアーキタイプをピカリにぶつけ、強み弱みを把握していく。

最終調整を始めた時、候補として残っていたのは7つ。
即ち、
・ジョーカーズ
・赤青t白バスター
・墓地ソース
・ジャバランガループ
・ゲイルヴェスパー
・赤黒バスター
・青黒ハンデス
だ。

その候補を試し、全国大会1週間前の時点で3つに絞り込んだ。
・ジョーカーズ
・赤青t白バスター
・墓地ソース
の3つへと。

この中から1つ、選ばなければならない。
3択を迫られたdottoが思い出したのは、過去の自分だった。

 
 
 
本格的に競技DMへ傾倒してから今年までの6年間、彼はほとんどメタを読む側、強いデッキをメタる側にいた。
しかし今年は違う。今年のデュエル・マスターズはプレイングの難しさが突出していると断じ、純粋に強いデッキを使うよう心がけた。夏は青黒ハンデス、冬は白緑メタリカを使って勝ち続けてきた。

そして、その心がけを捨てたエリア予選で負けた。強いデッキをメタる側に回った試合で負けた。

 
 
 
ジョーカーズは、バスター系統に不利。
墓地ソースはジョーカーズや赤青バスターなどのトップデッキに強いものの、カードパワーの面で他デッキに劣る。
バスター系統のデッキは回れば楽に勝てるカードパワーを持っていて、引き込んだカードが多少弱くても巻き返すだけの力がある。2月の第3週にCSへ持ち込み、プレイした経験もある。

今までの自分じゃないんだ。今年の自分のスタイルで勝つんだ。
恐れずに行こう。

当日から5日前、3月6日。
dottoは赤青t白バスターを選んだ。

 
 
 
 
3月10日。
赤青t白バスターという結論を得たdottoは、東京に前日入り。現地であばばば、ピカリらと合流する。
この時点で彼のデッキには《閃光の守護者ホーリー》が入っていた。なんとかして《龍素記号Xf クローチェ・フオーコ》も入れようと友人たちに相談を持ちかけたdottoだったが、ここで思いも寄らぬ答えを返される。

「《Dの牢閣 メメント守神宮》、入れたら?」

それは、あばばばが東京行きの電車の中で辿り着いたカードだった。

 
 
 
ピカリが赤青t白バスターを選んだあと、あばばばは同系戦で勝つためのカードを探していた。あの大舞台でミラーマッチが起こらないと考えるのはいささか楽観が過ぎる。
そう考えて《龍覇 グレンモルト》や《早撃人形マグナム》を試したが、採用にまでは至らない。

そんな時、不意に思い出したのはサザンのミラーマッチだった。
バスターのミラーマッチが横に並べあうロングゲームになるであろうことはおおよそ検討がついている。であれば、同じく並べ合いとなるサザンの同系戦におけるキーカード、《Dの牢閣 メメント守神宮》を採用するというのは実に理に適った発想ではないか。

《Dの牢閣 メメント守神宮》なら、《光器セイント・アヴェ・マリア》を使って《閃光の守護者ホーリー》のケアが出来る。何かの間違いで《終末の時計 ザ・クロック》を踏んでもDスイッチで凌ぐことができる…様々な場面への対応力を得る、魔法のカードだった。

一方のdottoが持ち込んだ《龍素記号Xf クローチェ・フオーコ》は、墓地ソースやジャバランガループへの対策だ。ブロッカーを持つこのクリーチャーは、最悪でもジョーカーズなどの足止めになる。
話し合いの末に、彼らは両方のカードを採用することにした。

 
 
 
ホテル入りしたdottoはそのままひとしきりピカリと回す。
彼が寝ると代わりにおんそくを捕まえ、また回した。もともと情報交換をしていた相手であり、構築を見せることに抵抗はない。

調整は続き、深夜3時に及んだ。ここでおんそくのプレイ精度が落ちてきたことに気づき、調整を切り上げる。

dottoは、不思議と眠くなかった。眠れたのは4時で、起床は6時半。
わずか2時間半の睡眠ながら、コンディションは良かった。
7時半にはホテルを離れ、8時に会場へ。
待ち焦がれた全国大会は、午前9時から始まった。

 
 
 
長年、夢見るだけだった場所に、憧れるだけだった場所にdottoはいた。
全国大会という場でデュエル・マスターズをプレイする。深い満足を覚えた彼はしかし、意識を引き戻す。

まだだ。
満足するために来たんじゃないんだ。
勝つために来たんだ。

脳裏を過ぎったのはあばばばのことだった。2011年度、E1期に白青マーシャルで全国を制したあばばば以来、関西は王座から遠ざかっている。
そのあばばばが調整に協力してくれた。思いを無には出来ない。
6年越しの王座奪回を、dottoは心中密かに誓っていた。

 
 
 
果たして、調整は実った。予選5回戦を通し、負けは無し。
圧倒的な経験と知識は、dottoに相手を観察する余裕すら与えた。

予選3回戦で訪れたdarkblueとの初対戦を振り返るdottoは「darkblueさんの手が震えているのが分かりました」と事も無げに言う。
一方のdarkblueは「とても緊張していました」と率直に語った。

「まさか自分なんかが全国大会に出られるとは思っていなかったですし、昨年、一昨年と中部勢が優勝している事も頭にあって…」

darkblueにとって、dottoは「一生追いつけないプレイヤー」だ。

「自分が全然勝てなくて、名前も知られていなかった頃からdottoさんはずっと勝ち続けていました。2017年の自分は調子が良い時期もあり、過去最高の戦績を残せたのですが…それでも彼には敵わなかった。本当に、尊敬しています」

 
 
 
もちろん、dottoとて何も感じていなかったわけではない。シールドをブレイクする感覚が、カードをプレイする感覚が、平時とは段違いに重い。
試合を経るごとに感情は昂ぶり、最高の舞台で戦っているという実感はいやが上にも増すばかり。

これほどまでにデュエル・マスターズを楽しんだことがあるか。
これほどまでにデュエル・マスターズは楽しかったのか。

1ゲーム、いや1ターンでも長くこの場にいたい。

そう願う彼に最大の試練が訪れたのは、準決勝だった。このとき状況を理解していたのは、対戦卓に座ったdottoとピカリ…そして観戦席のあばばばだけだった。

 
 
 
3人はともに調整し、当日存在すると踏んだ”ほとんどの”デッキになんらかの回答を用意すべく努力してきた。
“全て”ではない。
たった1つだけ回答を用意出来ていないデッキがあることを、3人は知っていた。

《Dの牢閣 メメント守神宮》を入れた赤青t白バスター。
前日にようやく辿り着いた48枚、準決勝にいる2人が手にする48枚こそ、彼らが回答を用意出来なかった唯一のデッキだった。

世界で3人だけが理解出来る準決勝を、2人は始めた。

 
 
 
前日、ホテルでの調整において、dottoとピカリはこのマッチアップを経験している。そのゲームはさながらコントロールデッキのミラーマッチの様相を呈していた。
赤青t白バスターの同型対決とは到底思えぬその状況が今、dottoの目の前で再現されつつある。

完全な回答はないにせよ、2人はいくつかのセオリーを知っている。なんの用意もなく《蒼き団長 ドギラゴン剣》で突撃するプレイが許されるのは先攻3ターン目でだけ…というのもその1つだ。《Dの牢閣 メメント守神宮》がトリガーした瞬間に、敗北が決まってしまうから。
《光器セイント・アヴェ・マリア》などで守りを固めねば安全とは言えない。《Dの牢閣 メメント守神宮》を生かす為、低コストのクリーチャーが横に並ぶ。

そのセオリーを2人は正確に追ったが、しかし同時に昨日の時点ではなかった新たな要素についても認識していた。
制限時間だ。

 
 
 
ゲームが終盤に差し掛かった頃、dottoの手札は2つの選択肢を彼に与えていた。
打点を揃えて殴りきるか、それとも盤面を除去しコントロール対決を続けるか。

序盤に1枚ブレイクしているから、ピカリの残りシールドは4枚。
《“龍装”チュリス》と《プラチナ・ワルスラS》で打点を追加し、ぴったり殴りきることも出来る。
場にある自分の《Dの牢閣 メメント守神宮》のDスイッチを使い、盤面の優位を取ることも出来る。
殴りきる選択肢を取った時、勝敗を分けるのは《光牙忍ライデン》と《Dの牢閣 メメント守神宮》だ。

互いのデッキに入っている《光牙忍ライデン》は1枚、《Dの牢閣 メメント守神宮》は4枚であることをdottoは知っている。2ターン前に《龍素記号Xf クローチェ・フオーコ》の効果で《光牙忍ライデン》1枚と《Dの牢閣 メメント守神宮》2枚がピカリの山札に戻ったこと、そのあとに通常ドロー、《月光電人オボロカゲロウ》、《熱湯グレンニャー》で5枚ドローしたことも知っている。

《光牙忍ライデン》を引き込まれていれば負け。
《Dの牢閣 メメント守神宮》がピカリのシールドに埋まっていても負け。

このゲームの先攻はdottoだった。時間切れになれば、必ずピカリまでターンが回る。シールド差の勝負は後手が有利だ。
残り時間は3分。攻撃するなら、おそらく今が最後のチャンスだろう。

 
 
 
dottoは《プラチナ・ワルスラS》、《“龍装”チュリス》を場に並べた。そのプレイの意味するところをピカリは理解した。
手札に《光牙忍ライデン》はない。ピカリはシールドに《Dの牢閣 メメント守神宮》があるよう祈った。dottoは真逆の祈りを捧げた。
 
 
 
捲られていく4枚のシールド。そこに《Dの牢閣 メメント守神宮》はなかった。
 
 
 
決勝だったら良かったのに。そう、dottoは思ったという。
それほどの死闘だった。

「ただただ、しんどかったですよ」

準決勝の結末を振り返った彼は、それだけを呟いた。

 
 
 
直後に迎えた決勝の相手は、関東のちゃそである。dottoと同じく決勝まで上り詰めてきたこの男は、dottoとは対照的なプレイヤーだった。

ちゃそは、はら*が率いたチーム「原一派」に所属し、GP2ndでトップ8入賞の経験を持つ。今回の全国大会出場も、関東エリア予選Cブロックでの優勝によって掴み取っている。
全国大会に向けて調整を始めたのは1週間前からで、実際に対人調整を行なったのはわずかに3時間だけ。

チームに属し、公式大会の実績を持ち、調整時間は短い。dottoとは何もかも違うちゃそが選んだデッキタイプはしかし、奇しくもdottoと同じ赤青t白バスターだった。
もっとも、選んだ理由は異なる。

ちゃそが選択肢として考えていたのは3つ。
・ジャバランガループ
・ロージアダンテ
・赤青t白バスター
である。

そこから赤青t白バスターを選んだのは、いわゆる” ぶん回り”を持つアーキタイプだったからだ。友人たちと都合が合わず満足な調整が出来なかった彼は、相手との対話を拒否出来るアーキタイプを必要としていた。
今日、赤青バスターに《閃光の守護者ホーリー》を入れて出場しているのはそういう理由である。

 
 
 
同種のアーキタイプを選んだちゃそを前にしても、dottoの気持ちは揺らがなかった。ちゃそとは既に予選4回戦で対戦しており、彼のデッキに《Dの牢閣 メメント守神宮》が入っていないことを知っているからだ。
当然、予選では勝っている。

ミラーマッチにおいて勝敗を決めるのは《Dの牢閣 メメント守神宮》であり、それを持たぬちゃそに負けることはない。
そう思っているのではない。事実として知っている。何百回と繰り返した調整が絶対の自信を生む。

しかし予選の彼らの戦いはフィーチャーされておらず、ゆえに大部分の観客はその”事実”を知らない。無論、ちゃそが決勝進出との一報を聞いて配信ページを開いたはら*もそうだった。

 
 
 
画面の向こうで、決勝は既に始まっていた。ちゃそは後手ながらも2ターン目に《異端流し オニカマス》を召喚し、3ターン目には《蒼き団長 ドギラゴン剣》を場に送り込まんと構える。

これは流石に勝ったんじゃないか。そう考えたはら*を責めるのは難しい。
はら*だけではない。全国の視聴者はおろか、その場にいた観客たちですらほとんどが同じ感想を抱いていただろう。

数分で終わる決勝も、それはそれでいいんじゃないか。
そう結論づけたはら*は、配信を見るのを止め、出かける準備を始めた。

 
 
 
実際のところ、ちゃそもはら*と同じ考えだった。
いかに《Dの牢閣 メメント守神宮》が強かろうと、3ターン目に現れた《蒼き団長 ドギラゴン剣》に抗しうるものか。dottoだって焦っているだろう。

そう期待するちゃその目の前で、dottoは落ち着いて状況を確認していた。
《蒼き団長 ドギラゴン剣》の効果で場に出てくるクリーチャーが《勝利のアパッチ・ウララー》なら、負けるかもしれない。けれど、それは大した問題じゃない。
“ぶん回り”はそうそう続かないはずだ。第1ゲームを落としても、後の2ゲームは勝つ。あばばば、ピカリと積み重ねた調整によって、既にこのマッチアップは理解している。

その努力を天が認めたか。ちゃそが出したのは、《熱湯グレンニャー》だった。

 
 
 
 
ゲームが終わるまで、やや時間を要した。dottoのプレイを間近で見たちゃそは憧憬の念を抱いた。

ちゃそは”ぶん回り”があることを理由に赤青t白バスターを選んだ。裏返せば、赤青t白バスターは対話しないデッキだと思っていた。ミラーマッチなんて、引くべきカードを引いた方の勝ちだと思っていた。

その思考を、目の前の男が次々と打ち砕いていく。
自分だけが2ターン目に《異端流し オニカマス》を出せたのに、自分だけが3ターン目に《蒼き団長 ドギラゴン剣》を出せたのに、自分の求めた”ぶん回り”のはずだったのに、dottoの精緻なプレイと練り込まれたデッキはその”ぶん回り”とすら対話し、回答を提示する。

ちゃそは違う。dottoとプレイを通じて対話することは能わず、盤面への回答を見出せない。
2ゲーム目も、それは同じで。

 
 
そうして、6年ぶりに関西が頂点に立った。
 
 
 
 
 
面白かった、とあの日を振り返ってちゃそは言う。

「赤青t白バスターのミラーマッチにあんなにプレイのやり取りがあるなんて、思いもしませんでしたよ。自分の練習不足を痛感しました。結果は負けでしたが、本当に面白かった。
 デュエル・マスターズなんて、努力したって結果は変わらない。そうした考えが馬鹿げてるってことを教えられた気がします。本気でやりこんでいた人たちに対して申し訳なかった。
 そして…出来ることなら、同じ舞台でもう1度戦いたい。そう思ってます」

直接対戦したせいで下手なのがバレちゃっただろうから、相手にされてないかもしれませんけどねとちゃそは冗談めかして笑う。
だが、その目は真剣だ。

関東は、長らく頂点から遠ざかっている。
関西最後の王者は2011年度のあばばばだったが、関東最後の王者は2006年度のhiroにまで遡らねばならない。王者不在の期間は11年に及ぶ。

11年という時間について、明確に把握していたわけではない。けれどなんとなくは知っていたとちゃそは語る。

「関東はプレイヤーの多い激戦区ですけれど、全国的に見て飛び抜けてる選手は中部とか関西の人が多いじゃないですか。関東にも勿論うまい人はいますけど、デュエル・マスターズで強い人と言われるとやっぱりdottoさんやHARUさんのような他地域の選手が上がります。
 地域の現状や長らく日本一が出ていないこと、あべけんさんのことも覚えていて、それで決勝へ行ったときに”勝てないかも”という気持ちが芽生えてしまって‥だから、来年こそは」

あべけんは、2008年度の日本一決定戦で中部のPULUに破れ、2位になった関東の選手だ。2003年度、2014年度にもエリア予選で優勝しており、日本一決定戦3度出場という歴代2位タイの記録を持つ。
そうした強者を抱えていながらも、王座が遠い。決勝までは届くのに、あと一歩が届かない。

再び日本一を目指す理由は、十二分にある。
だが、はら*や”イノベーター”えじま*らチームの中核メンバーはデュエル・マスターズから距離を置き、GP3rdでともにデッキを作り上げたHevean’s Diceも活動を休止。進学と就職による世代交代の波が押し寄せているのだ。

1人では勝てない。GP2ndで《不敗のダイハード・リュウセイ》を獲得できたのは、調整に付き合ってくれた原一派メンバーのおかげだと分かっている。

「本当は、みんなでGPに向けて調整していたあの頃に戻れれば一番良いんですけどね」

ちゃそは寂しそうに笑った。

 
 
 
再びこの舞台に。その思いはdottoも同じだ。
「GP、エリア予選…公式大会で頑張って、もう1度全国の舞台に立ちたいと思っています。普段のCSでは味わえないあの感覚が、あの高揚感が忘れられないんです」

優勝者に与えられたトロフィーは、カードボックス江坂店に飾られている。

「自分かピカリか、どちらかが勝てれば良いと思っていました。事実関係としては把握していたんですけれど、調整中には何も伝えられなかったんですよね。
 だからトロフィーをもらって帰るときに、お店で飾ってくださいとあばばばさんへお願いしました。いいよと言ってもらえて、本当に嬉しかったです」

1人で勝ったわけではない。一緒に調整してくれた人たちがいたからこその勝利だ。そのことを、dottoは誰よりもよく理解している。

「気軽に回せる相手が出来たのは、仕事の都合で江坂店の近くに引っ越してきてからなんです。それまではプレイヤーのいない地域に住んでいたりで、なかなか相手がいなくて。
 ゲームを続ける中で、1人では勝てないと実感しました。デッキ案がまとまらない、なんとか形にしても現実のメタゲームとはちょっとずれている…1人で調整していると、そういうことに気づけないんです。ちゃんと意見交換、情報交換をしないといいデッキは出来ません」

そう語るdottoは既に次を向いている。GP6thで再び彼の勇姿を見ることが出来るだろう。

 
 
 
 
 
 
15年。
デュエル・マスターズが始まってから、15年。
2017年度の日本一決定戦、この場所に至るまで、15年。
 
 
 
15年目の今年、日本一決定戦は劇的な進化を遂げた。

かつての日本一決定戦は、締めくくりとしての意味を持つ大会だった。その物語上の文脈ゆえに、日本一になった選手がその場で引退宣言をした年もあった。

今年の日本一決定戦は違う。参加した誰もが口を揃えてこう言った。最高の戦績を残したdottoでさえもが言った。

「もう一度、この舞台に立ちたい」

日本一。その称号は、もはや終わりではない。物語の締めくくりではない。
これは、新たなデュエル・マスターズの始まりなのだ。CSでGPでエリア予選で、そこかしこで紡がれる新たな物語の幕開けなのだ。

 
 
 
 
15年間を礎に、16年目をさあ始めよう。新しいデュエル・マスターズが、僕らのことを待っている。
 

カテゴリ:カバレージ