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DM史:零れた水は(GP7th/えんがわ/HARU/ ZweiLance/ dotto)

限定構築という概念が生まれたのは、不死鳥編が発売された2006年のこと。春先におこなわれた公式大会、スプリングギャラクシーリーグ(SGL)で採用された” アフタージェネレートリーグ “がそうだ。

転生編の4エキスパンションに加え、大規模な再録パックであるベストチャレンジャー、コロコロ・ドリーム・パックのみが使用可能となるレギュレーション。
祖先であるMtGに倣い、DMにおけるスタンダード導入の先駆けとなるはずだったAG限定構築はしかし、1枚のカードによって暗転する。

《ボルメテウス・サファイア・ドラゴン》。

2006年2月に登場したこのカードは《大勇者「ふたつ牙」》を相方に、SGLを蹂躙。勢いそのままに殿堂レギュレーションをも征服し、翌2007年の1月にプレミアム殿堂入りすることになる。

カードプールが狭い上、「聖拳編より弱い」とされる転生編に基盤を依存したAG限定構築で《ボルメテウス・サファイア・ドラゴン》を止められるはずもなく。
氷河期と呼ばれた不死鳥編がデュエル・マスターズの売り上げを半減させたこととも相まって、限定構築という概念そのものがゲームから忘れ去られてしまった。

 

 

そんな限定構築がトーナメントシーンの最前線へ返り咲いたのは2010年、覚醒編。
それまで殿堂レギュレーションが採用され続けてきたエリア予選が一転、ブロック限定構築の大会となった。

伏線はあった。
この年に初めて導入された超次元ゾーンは、カードパワーのインフレやゲームの複雑化についていけないプレイヤーを大量に生み出した。不死鳥編と同程度にとどまった覚醒編の売り上げからも、そのことが窺い知れる。

ある意味で、超次元ゾーンはふるいだった。その登場を受け入れた選手たちは、限定構築をも許容した。
2007年ごろから、CS文化が各地で広がり始めていたことも決して無関係ではないだろう。

重要なのは、競技に相応しい場が用意されていることだった。場があるのなら、それが限定構築でも構わなかった。

 

 

エリア予選への導入が転機となり、限定構築は少しずつ拡大していった。2015年からは、エリア予選に向けた店舗予選でも限定構築の採用が決定。
この頃になるとエリア予選でも卓制が廃止され、CS同様にスイスドローが導入される。

そして2018年。競技層向けの新たなレギュレーションとして、2ブロック限定構築の新設が発表された。

そこでしか獲得出来ないプロモーションカードの存在も相まって、春先には多くの2ブロックのCSが開催された。ついに限定構築が殿堂構築よりもメジャーになる日が来たかに見えた。
のだが。

8月ごろには、再び殿堂レギュレーションのCSが勢力を盛り返していた。2ブロックのCSも開催されていないわけではなかったが、規定の人数に達せず不成立、という事態がしばしば起こっていた。

結局のところ、ほとんどの選手にとって、限定構築とはエリア予選だったのだ。全国大会への道のりに置かれている障害物の1つに過ぎなかったのだ。
彼らにとって、限定構築は殿堂構築を超えるものでは無かったのである。日本一決定戦への出場権利というおまけが付かない限り。
限定構築というゲームそれ自体が選手を引きつけていたわけでは、無かったのだ。

それが、GP7thで変わった。

 

 

もうこのゲームをやめようと思っていたと、優勝したえんがわは言う。
長野から上京しておよそ1年半、GPにも超CSにも全て参加してきた。全力でデュエル・マスターズを遊び続けてきた。

だが行き詰まりを感じていたと、彼は振り返る。
カードパワーは上がり、ゲームの決着速度は早まった。それによって技術介入の幅が狭まったように感じられたのだと。
勝ちにも負けにも納得のない日々。やり込むほどに溢れる閉塞感。

もう、終わりで良いと思っていた。この大会で最後にしようと思っていた。

それが、GP7thで変わった。

 

 

えんがわ、HARUZweiLance、そしてdottoがベスト4に集ったあの日、彼らの間で何があったのか。
4人ともが、取材に応じてくれた。

「あの日は、本当に楽しかった」

そう口火を切ったのは、えんがわだった。

 

 

えんがわが身を置く本厚木勢で主にデッキビルダーとして活動していたのは、◆斎藤が率いたHeaven’s Diceの出身者だった。名をtaiseiと言う。

taiseiがビルダーとして頭角を表すきっかけとなったのは、2017年2月のHeaven’s Dice休止だ。
それまでずっと◆斎藤の背中を追って来た彼は、いざ◆斎藤が郷里に帰る段になって初めて気づいた。
自分にとって” デュエル・マスターズをプレイする “とは” ◆斎藤の背中を追い、意見を交わす “ことと同義だったのだと。

その◆斎藤が、いなくなってしまう。自分は、これからどうすれば良いのか。 

taiseiが得た結論はシンプルだった。腹を括ったと言う方が適切かもしれない。
もう、◆斎藤はいない。自分でやらなければ。
そう思った。

それから数ヶ月も経たぬうちに、taiseiは改めて自身の名を世に送り出すことになる。『青白ロージア』のビルドによって。

そのtaiseiに対し、ランキング1位をひた走っていた滋賀のHARUが共闘を持ちかけたのは必然と言えるだろう。

 

 

HARUにとって、公式大会へ向けての調整は積年の課題だった。なにせ滋賀県は、2017年に初めてCSが開催されたような地域だ。恵まれた環境などあろうはずもない。遠隔地のプレイヤーと連絡を取り合い、調整の糧にしようとするのも頷ける。
HARUはtaiseiの他、かつて紅茶派閥のリーダーを務めた夜桜、GP5th優勝のナツメら関西圏でCSに出場している選手を誘い、LINEで調整グループを立ち上げた。

遠隔地同士であるがゆえ、直接会っての練習は難しい。毎週CSに出場し、その結果を共有することにした。細やかなプレイングが気になれば、教え合う。

HARUにとっては慣れた手順だった。時間がないときは知り合いにデッキを貸し、大会が終わった後に試合の様子を聞いて、自らの経験値としていたから。
試合展開を教わるだけで十分だ。聞けばおおよそのことは分かる。それをまたtaiseiらにフィードバックする。

GPの1週間ほど前、taiseiたちは『白零サッヴァーク』と言う結論に辿り着いていた。GP前の最後のパックとなるDMRP-07の発売時点で、関西勢がいち早く到達していたアーキタイプだ。
この頃になると、流石に他地域にも少しずつ情報が漏れ始めていたものの、それでも研究の深さに関しては関西勢がトップだったと推察される。

そんなところにやって来たのがえんがわだった。

 

 

えんがわは、GPの10日ほど前から2ブロックの研究を始めていた。少し『緑ジョーカーズ』を触ってみたものの、まるでダメだったのでtaiseiの元を訪れたのである。

決してGPを甘く見ていたわけではない。だが、どうにも乗り気ではなかった。

競技イベントに憧れ、長野から上京して1年半。文字通り、デュエル・マスターズにどっぷりと漬かった日々を過ごした。けれど、もう潮時かもしれないと思っている。
決して来年に控えた就職の影響ばかりではない。

かつて彼が憧れた競技DMは、時間が止まっているのかと錯覚するほどに濃密な戦いのはずだった。多くのイベントに出てアベレージを競うような、戦いの時間を薄めに薄めたものではなかった。

現代の競技DMは、かつてとは違う。毎週、どこかでCSが開かれるほどに発展した競技シーンは、プレイヤーから調整時間を奪い去った。えんがわの求めた決闘は、たった1日のために全精力を傾けるようなゲームは、失われてしまったように見えた。

どれだけ調整を重ねても、それをぶつける相手がいない。ぶつける場所がない。
自分が変わったのか、ゲームが変わったのかは分からない。

だからこそ潮時だろうと、そう思っていた。

 

 

デッキがない、と言うえんがわにtaiseiは驚いた。あと1週間だよ、と問うと、相手は重々しく頷く。

「そうだよ、ヤバいんだよ」

マジにヤバいのかよと心中密かに突っ込んだtaiseiだったが顔には出さず、代わりに『白零サッヴァーク』を教えた。
《サッヴァークDG》型にするか《煌メク聖戦 絶十》型にするか、という点ではHARUとの間で意見の食い違いがあったものの、taiseiは《サッヴァークDG》型を結論としている。

えんがわは疑うことなく受け取り、そこからの1週間を練習に費やした。

一方の《煌メク聖戦 絶十》型を推していたHARUも、GP直前の土曜に《サッヴァークDG》型を使ってみると意見が変わり、えんがわとHARUは同じアーキタイプでGPへ赴くこととなった。

 

 

2018年10月8日、祝日の月曜日。京都パルスプラザ。

気の早い遠征勢は土曜日から前入りして現地のCSに出場し、GPに備えていた。一部の選手などは本命デッキを隠して京都のCSに出場し、現地のメタゲームを探る徹底ぶりである。

その京都のCSでは、まるで知られていなかった『青赤覇道』が1位、3位にダブル入賞するという波乱があった。

ほとんどのプレイヤーは、2ブロックには《異端流し オニカマス》がいないものとしてデッキを組んでいたので、その《異端流し オニカマス》を採用した『青赤覇道』の登場には驚いたようだ。
カバレージライターと競技プレイヤー、二足のわらじを履く関西のイヌ科などは、驚きのあまり『青赤覇道』に乗り換えてしまったほどである。

もっともこのアーキタイプ自体は関東のユーリらが秘匿していたものであり、taiseiは存在を知っていた。
その上で組み上げた『白零サッヴァーク』である。今更、選択が揺らぐはずもない。

 

 

1bye持ちのえんがわのGPは、2回戦から始まった。初戦を勝利した直後に1敗したものの、そこからは6連勝し、7-1で予選抜け。
続く決勝トーナメントでも瞬く間に4連勝し、ベスト8入りを決めた。

鬱屈した気分はどこかにすっ飛んでいた。1週間の練習は、えんがわの全てのプレイに根拠と確信を与えていた。
彼には、自分の打つ手が勝ちに繋がっていることが分かった。絶えて久しい、もう出会うことはないと思っていた感覚だった。

それを、準々決勝が加速させる。

 

 

2ブロックは実力差の出るゲーム、というのは嘘ではないようだった。ベスト4を賭けて争う相手は、GP3rd優勝のW。
互いに1勝し、迎えた最終戦でそれは起こった。

Game3。
長丁場の疲れゆえか、Wにミスが生じたのだ。

えんがわが《煌世主 サッヴァーク†》だけを置いた場に、Wは《“必駆”蛮触礼亞》経由で《勝利龍装 クラッシュ“覇道”》を送り込んでしまった。《勝利龍装 クラッシュ“覇道”》は戦場の露と消え、えんがわは勝利を拾う。

GP3rdで優勝したWほどの選手ですら、極限の状況ではミスが出ることもある。えんがわにとっては驚きであり、同時に救いでもあった。

驚きは、どんな強豪も人間であるということ。
救いは、これがミスした側の負けるゲームであるということ。

まさしく、これこそが自分の求めた場だったのだと。
次の対戦相手を見て、えんがわは確信した。

 

 

時刻は19時半を回っただろうか。
観戦者たちのSNSを通じて、会場外にも状況が伝わり始め、熱気は最高潮に達しようとしていた。

7thは、初めて2ブロックで開催されたGPだ。そのベスト4に、えんがわ、HARU、ZweiLance、dottoの4人がいた。
そんなことがあるのか、と会場が沸く。

このフォーマットは、多くの選手から低い評価を受けていた。それは今年の春先、『ジョーカーズ』ばかりが入賞していた時期の印象に起因する。
運の要素ばかりが目立つゲームだと、大多数がそう受け止めていた。

だが、今やそのイメージは雲散霧消した。残った4人は紛れもなく真摯に努力していた上、そのことをよく知られている選手ばかりだった。この結果を評価しないことなど、誰にも出来はしない。

興奮しているのはギャラリーばかりではない。運営に回ったユーザーたちも同じだった。
その日の仕事を終えたジャッジは、誰かが持ち込んだタブレットにかじりついて、生中継を見ていた。仕事を終えていないジャッジは、職務として準決勝卓に赴いた。
つまり、誰も彼もがこの戦いを見ようとしていたわけだ。

えんがわ VS dottoを。
HARU VS ZweiLanceを。

スプリングギャラクシーリーグから12年。旅路の果てに、限定構築は本物の熱狂を手に入れた。

 

 

えんがわが呼ばれたのはフィーチャー卓だった。
目の前の男に会ったことはない。直接、見るのも初めてだ。

dottoの纏う空気が、その実力を強烈に主張して来た。
彼の強さを知るために対戦する必要などなかった。一目見ただけで強いと分かった。ぶっ壊れたカードのテキストを1度読んだだけで強いと分かるように分かった。ありもしない圧力を感じた。

でも、とえんがわは思う。
相手も、人間なのだ。例えば3ターン目に現れる《蒼き団長 ドギラゴン剣》のような、そんな理不尽に抗う術など有りはしない。

その思いは、直前のWとの対戦に由来する。
相手も人間なのだ。強豪も人間なのだ。
過度に恐れる必要はない。

それに、彼はtaiseiのことを信じていた。

1週間、このデッキだけを練習してきた。このデッキが世界で一番良いデッキだと、彼は信じていた。

taiseiがそう言ったのだから。これ以上のデッキなど、有りはしないのだ。

 

 

勝敗は互いのプレイングスキルに依存するだろうと、えんがわの対面に座すdottoは考える。

相手は『白零サッヴァーク』。自分は『青赤緑チェンジザ覇道』。
もしえんがわの『白零サッヴァーク』が《煌メク聖戦 絶十》を採用したタイプなら、dotto有利だったろう。けれど、相手は《戦慄のプレリュード》からの《サッヴァークDG》を狙う型だ。
ミスをした方が、負ける。

あと2勝。昨年度に日本一を獲り、ランキング1位を獲った自分が残していたタイトルまで2勝。
ひとまずここを勝てば、全国大会の権利が手に入る。だが、それだけではダメなのだ。

この準決勝を勝ち、決勝をも勝たねば、dottoにとっては意味がないのだ。

 

 

dottoの『青赤緑チェンジザ覇道』は、一般的なリストとは異なっている。《終末の時計 ザ・クロック》、そして《ドンジャングルS7》両方を採用しているのだ。

他選手のリストで採用されているのは、いずれか片方のみ。だが《終末の時計 ザ・クロック》だけでは決定力を欠き、《ドンジャングルS7》だけでは防御力を欠くと、dottoは結論づけている。
だから、入れるなら両方だ。

2016年の関西エリア代表であるけみーと、たった2人で到達した40枚。2人だけでの調整は無謀とも思えたが、彼らは難なくやってのけた。

この2人は恐るべきことに、『白零サッヴァーク』と『青赤緑チェンジザ覇道』というアーキタイプを、この準決勝でえんがわとdottoが戦わせているアーキタイプを、GPより遡ること3週間前の時点で組み上げていた。
GP前、最後のカードパックが追加されたその日のうちに。

『白零サッヴァーク』を選ばなかったのは、プレイの厄介さによる。序盤のマナ置きの判断に、次のドローやシールドの中身といった非公開情報が絡むデッキをdottoは嫌った。
不条理な2択ほど、敗北につながりやすいものはない。

さりとて一般的な構築から外れ、《終末の時計 ザ・クロック》と《ドンジャングルS7》を採用するという独自の道を行くのは容易ではない。

だから選んだ。先んじる為に。勝つ為に。
容易な道の先に、栄光などない。

無理やり枠を空け、緻密な調整を繰り返し。そうした修練の果てに今、dottoは準決勝を戦っている。

 

 

だが、プレイングの面で互いが互いを上回ることはなかった。
100%より上は無いからだ。

完璧な者同士が対戦し、その2人が正着手を指し続けたとき…後に残るのは天の気紛れだけである。

 

 

Game1は、dotto有利のまま終盤へ突入しようとしていた。
えんがわは《煌世主 サッヴァーク†》の早出しに成功していたものの、シールドゾーンのサバキZが足らず、dottoに《父なる大地》で処理されている。

そこから《勝利龍装 クラッシュ“覇道”》による2度の追加ターンを含む、3ターンに渡るdottoの猛攻をえんがわは凌いだ。
しかし1ターンで形成を立て直せるはずもなく。dottoにターンが渡ると、ゲームの終わりは近いように思われた。

dottoの詰めは完璧だった。えんがわの楯にトリガーがあるとしても、《隻眼ノ裁キ》でさえ無ければ間違いなく勝っていた。

だが、えんがわの最後の楯からトリガーしたのは《隻眼ノ裁キ》。《勝利龍装 クラッシュ“覇道”》をタップしたことでシールドが残り、えんがわは命を拾う。返しのターンで《煌龍 サッヴァーク》に《天ニ煌メク龍終ノ裁キ》を絡め、ゲームを決めた。

続くGame2は、えんがわが最速で《煌世主 サッヴァーク†》をバトルゾーンへ。今度はサバキZも揃っており、勢いそのままに勝利を収めた。

 

 

あと、1ターンだった。えんがわが2枚の《天ニ煌メク龍終ノ裁キ》を手にする方が、わずかに早かった。
相手は上手かったとdottoは認める。

「彼のプレイは100点でした。かなりやり込んでいるんだろうなというのが伝わって来ました。もしそうでなければ、Game1の《隻眼ノ裁キ》が有効に働く事はなかったでしょう」

これしかないというカードが、これしかないというタイミングでシールドから現れた。運、と言えなくもない。けれど、dottoはそれを運と呼ばない。
実力のない人間は、運を生かせない。ならばこれは実力だろうと、率直に対戦相手を称えた。

 

 

一方の卓では、えんがわと同じく準決勝に進出したHARUと、ZweiLanceが戦っていた。

 

 

ZweiLanceが初めてCSに出場したのは、2013年のこと。学業の都合で、北海道の奥地から札幌に移り住んだ彼はセキボンに誘われ、2日続けて開催されていた第4回仙台CS、そしておやつCS 2013 Summer東北に出場する。 

札幌から仙台までは、陸路でいけばおよそ800km。生まれた時から北海道に住んでいたZweiLanceにとって、これが一番近いCSだった。
学生だった彼は、フェリーに揺られて現地まで向かったという。

「フェリーの中って、電波が入らないんですよね。だから、デュエル・マスターズだけに集中出来て…最高の調整環境でした。
 酔い止めを飲んで、ずっとデッキを回してましたよ」

過去を振り返って苦笑する彼は、その年から遠征を始めた。魅入られたように。
デュエル・マスターズを始めたのは転生編、2005年。その名の由来である《クリスタル・ツヴァイランサー》とともに第一歩を踏み出した。あの時は、遊べる場所も相手もわずかしかいなかった。
でも、もう違う。CSに行くだけで良い。

遊べる相手がいる幸せ。大会に出場できる幸せ。それを知った彼は、長い休みの度に遠征するようになる。
社会人になってからは頻度も増え、ランキングの上位を走り、そして今日。この場に至る。2000人が参加する大会の、準決勝に。

相対するHARUとは、知らぬ仲ではない。
どころか、単なる付き合い以上のものが2人の間にはあると、ZweiLanceは感じている。

 

 

2ヶ月ほど前、今年の盆のことだ。関西まで遠征し、現地のCSに出ていたZweiLanceは、準々決勝でHARUとマッチングした。
そこでミスを犯し、結果として負けている。

「HARU君の雰囲気に飲まれちゃったんです。対戦中の彼から言語化出来ない怖さを感じて、この人には勝てないと思い込んでしまった」

上手さと強さは違う、とZweiLanceは考えている。

「練習でどれだけ正着手を導き出せたとしても、大会でその手を選べるかどうかは別じゃないですか。友人と遊んでいる時だろうと、あの熱気に満ち満ちた会場の中だろうと、正解のプレイに到達できなければ意味がない。
 そうした、環境に左右されないメンタルの強さを持つ選手こそが、本当の強者だと思うんです」

象徴的なエピソードがある。

1時間ほど前に行われた、ベスト16を決める試合。ZweiLanceが対戦した相手は、旧知の鳶沢だった。デッキは同じ、『デ・スザーク』。40枚同じミラーマッチ。
その試合は鳶沢のミスから崩れ、ZweiLanceが勝っている。

試合後、鳶沢は「ZweiLanceの雰囲気がとても怖かった」と語ったそうだ。それゆえに1手、誤ったと。

ZweiLance自身に、そんな空気を纏った自覚はない。だがそれを聞いて、自分の成長を確信した。

それだけではない。
この準決勝まで、今日のZweiLanceは1度も負けていないのだ。

あらゆる勝負事に運は付き物だ。無敗だなんて、デュエル・マスターズは狙ってそんなことが出来るゲームでない。それはZweiLance自身が一番良く知っている。

だからこそ、いけると思った。今日は自分の日だと、流れが来ている日だと、準々決勝を終えたさっきまでは確かにそう思っていた。

 

 

が。
そこに来ての、HARUである。
まだ、負けのイメージを払拭出来ていない。自覚がある。

目を見ないようにしようと思った。HARUの目を見ずに、盤面だけを見て戦おう。飲まれないようにしようと、そう思っていた。

 

 

その盤面を見つめるZweiLanceの目前に。
つ、と《奇石 ミクセル》が差し出されたのは、Game1の2ターン目だった。

HARUの『白零サッヴァーク』は、サバキZを盾に揃えるデッキだ。序盤は楽ではない手札のやりくりを強いられる。
いかにHARUが後手であろうと、手札が1枚多かろうと、ここでの《奇石 ミクセル》は明らかに定石から外れている。

この準決勝で勝てば、全国大会の権利が手に入る。今日の、事実上の最終ゲームと言ってもいい。
だのに思考時間を要することもなく、HARUは一瞬でこの手を選択した。

taiseiは、これを「きっと他の誰にも出来ないプレイだ」と語る。

「GPの準決勝という大舞台で、相手の逆を突くプレイがノータイムで選択できるのは凄いですよ。あの手を選ぶにしても、普通なら多少は考えてしまうと思います。自分も例外ではありません」

このHARUの1手が恐るべき意味を持ってZweiLanceの前に立ち上がって来たのは、2ターン後のことだった。

 

 

先手の4ターン目を迎えたZweiLanceには、2つの選択肢があった。
《堕魔 ヴォーミラ》を出すか、《追憶人形ラビリピト》を出すか。

まだ《卍月 ガ・リュザーク 卍》の準備は整っていない。
が、HARUの手札は4枚。《奇石 ミクセル》を出したことで、1枚減っている。

5枚だったなら迷わなかったと、のちにZweiLanceは回想している。迷わず《堕魔 ヴォーミラ》を召喚していただろうと。
だが、4枚の手札を見て揺らいだ。

いけるんじゃないか。《追憶人形ラビリピト》を出しても、除去されないんじゃないか。

《卍 デ・スザーク 卍》、あるいは《卍月 ガ・リュザーク 卍》を出せるようになるまで、《追憶人形ラビリピト》を温存するのが定石だ。半年もこのデッキを使い続けた彼は、そのことをよく知っている。
先手の4ターン目に、その準備が整っていようはずもない。

だが。
この時、ZweiLanceがバトルゾーンへ送り込んだのは《追憶人形ラビリピト》だった。

 

 

《追憶人形ラビリピト》の効果で、HARUの手札から《煌世主 サッヴァーク†》が墓地へ落ちたものの、そこまでだった。返すターンで彼は、直前に手札に加えていた《転生ノ正裁Z》経由で《魂穿ツ煌世ノ正裁Z》を唱え、《追憶人形ラビリピト》を除去。
このターンが分水嶺となり、盛り返せずにZweiLanceは敗北。続くGame2も、それまでの連勝が嘘のようにあっさりと落とした。
掴みかけた全国への切符は、水のように手の隙間から零れ落ちていった。

 

 

結果的に、HARUの一手はとんでもない効果を持っていたことになる。破竹の勢いであり、勝負手をしっかりと掴んでいたZweiLanceをゲームから降ろしてしまった。

しかし、なぜこの手を選択できたのか。
《奇石 ミクセル》を召喚する直前のターン、ZweiLanceが《堕魔 ドゥシーザ》をマナに置いている。それゆえの判断か。

「違います。相手がマナに置いたからもう持ってないだろう、という考え方には賛同できません。置くぐらいだからまだ持ってる、と考えるべきです。
 チーム戦でも、組む相手に必ず言うんですよね…そんな考え方は絶対しないでくれって」

ではなぜ、この一手に至ったのか。
覚えてないんですよね、とHARUはあっさり言った。

「この試合に限った話じゃなくて、いつもそうなんですが…細かい内容を覚えてないんですよ、僕。
 《奇石 ミクセル》は…置いておけば、相手がどこかのタイミングで除去にマナを使わなきゃいけません。それなら良いやと思って出したんじゃないでしょうか」

常人の回答ではない。

2000人が集った大会の準決勝で、悩むこともなく瞬時に放った定石外の一手が相手を退けた。
ビルダーたるtaiseiですらが慨嘆したそれに耽溺することもなく、覚えていないと切り捨てる。切り捨てられる。

ZweiLanceは、強靭な精神を持つ者こそが強者だと言う。
その定義に則れば、HARUは正しく強者だろう。

 

 

準決勝が終わってから10分ばかり、ZweiLanceは動けなかった。自分が何をしたのか、彼自身が一番よくわかっていた。

ギャラリーにはペン山がいた。泣き崩れている彼が、ZweiLanceの視界の隅に映り込む。

ペン山ほどZweiLanceの勝利を信じ、応援していた人間はいないだろう。ZweiLanceが毎週のようにCSを行脚出来たのも、彼がドライバーとして車を出してくれていたからだ。
その運転は、多い月で数千キロに及んだ。北陸にも関西にも、彼が連れて行ってくれた。

同じランキングを走る、いわばライバルでありながら、ペン山は自分をリスペクトしてくれている。そのことをZweiLanceは分かっていた。

そう、分かっていた。上手さと強さの違いも。HARUが手強いことも。ここでミスを犯してはいけないことも。ペン山がすぐそばで応援してくれていることも。分かっていた。なのに、それなのに。

 

 

俺は何をやっているんだ。

 

 

卓を囲む群衆からペン山が離れるまで、ZweiLanceもその場を離れられなかった。
3決など忘れてこのまま帰れたのなら、どんなにか幸せだったろう。

 

 

イベントの進行速度によっては3位決定戦と決勝戦が同時に実施される見込みだったが、スケジュールには余裕があった。
3位決定戦のことは、あまり覚えていないとZweiLanceは言う。直前の結果ゆえか。

dottoの方も、気乗りしていないようだった。最後の順位決めとは言え、3位でも4位でもポイントは変わらないし、全国大会の権利も手に入らない。

結局、おやつCS summer 2018 Final以来となるZweiLanceとdottoとの再戦は、その時と同じようにZweiLanceが勝利を収めた。

残すは決勝戦のみである。

 

 

2人の戦いによって生まれた唐突な休憩を、えんがわは最後の練習に費やした。
HARU、えんがわはともに相手のデッキを知っている。デッキを共有したと、taiseiから聞いている。

アーキタイプは同じだが、リストはわずかに異なっていた。
HARUが4枚の《戦慄のプレリュード》を入れているところを、えんがわは3枚。代わりに2枚目の《煌龍 サッヴァーク》を入れている。

1枚差で相手が有利、とHARUは見ていた。《戦慄のプレリュード》は同型で腐りやすい。

対するえんがわは落ち着いている。HARUが《サッヴァークDG》型の『白零サッヴァーク』を選んだのは2日前、土曜のことだと聞いた。
ミラーも含めて練習して来た自分に利がある、と踏んだ。

 

 

Game1、そしてGame2も、HARUの理はえんがわの利に届かなかった。
彼の前に《煌龍 サッヴァーク》が立ちはだかり、行く手を阻み。
程なくして、えんがわが優勝した。

 

 

あの日の3位決定戦を振り返り、「最近は気持ちの切り替えがうまくいっていない」とdottoは言う。

「1つの負けを気にしすぎていると言うか…負けると色々言われちゃうんですよね。だからなのか、集中力の落ち方がひどくて。
 勝負所で落としちゃっている試合が、今シーズンはいくつかあるんです」

その姿は先代の関西王者、あばばばと被る。彼もまた、日本一を獲った後に苦しんだ。
だがdottoは既に順位を1桁に押し上げ、全国への権利を逃したとは言えGP4位入賞。昨年の今頃はランキングの30-40位を上下し、GPでも予選抜けを逃していたことを考えれば、むしろ調子は上がっている。

しかし、dottoの顔に納得の色は無い。
きっと彼は、100試合で99勝を挙げたとしても残る1つの負けに思い悩み、勝ちに変えようと挑むのだろう。
既に頂点を知った後だというのに、彼は歩みを止めない。その目は既に、日本一決定戦へ向いている。

 

 

日本一決定戦へ思いを馳せるのは、ZweiLanceも同じだ。

「HARU君に負けたままでは終われません。彼が来るのなら、自分も行かなきゃいけない。そう思ってます」

日本一決定戦へ行く。それはHARUと戦うための手段に過ぎない。HARUに勝たなければ、作った借りは返せない。
もちろん日本一も獲りたいですけどねと、彼は笑う。

まだシーズンは終わっていない。すぐにエリア予選が訪れる。
気力は充実している。こぼれた水はまた汲めば良い。
この男もまた、あの場所へとやって来るのだろう。頂点に立つ為に。HARUに勝つ為に。

 

 

そのHARUは、日本一決定戦への出場確定を素直に喜んでいた。
これまでの公式大会における最高戦績はベスト16だったが、その壁も超えた。着実な前進を実感している。

そんな勢いのある彼をして、強いと言わしめる存在がいる。dottoだ。

「昨年冬の、白緑メタリカの頃から意見交換するようになりました。
 あの人の行動は全てに理由があって、無駄な行動なんて一切ない。例えるなら…陳腐かもしれませんが、2ターン目にクリーチャーを召喚した時点で、それによるダイレクトアタックを見越している、と言えば伝わるでしょうか」

自分にないものをdottoは持っている、とHARUは言う。

「自分は、目の前の盤面に対して最適解を導き出すタイプ。他方で、dottoさんは試合の行き着く先をあらかじめ知っていて、そこへ一手ずつ向かって行くようなタイプ。なかなか真似できるものじゃありません」

ランキングの後半戦から解放され、残すは日本一のみ。道は開けた。
あとは、勝つだけだ。

 

 

そして。

 

 

あの決勝の直後、えんがわが覚えたのは安堵でもなく疲労でもなく、軽い喪失感だった。
今日の分は、これで終わりなのか。興奮するギャラリーに囲まれた彼は、そんな感想を得ていた。

すぐに中継席に呼ばれるも、さしてコメントも出さぬうちに、司会から「ではそろそろお開きに…」の声。
まだ20時なのに?と首を傾げながらブースの外に出た彼は、何気無く時計に目をやって呆気にとられた。既に短針は10を回っている。22時。
まるで気がつかなかった。過ぎた時間の割にやたらと喉が乾くと思っていたが、あれは正常な反応だったのか。
 
ほ、と息を吐き。会場を見渡して。
彼は不思議な感慨に囚われた。

 

 

なぁんだ。
デュエル・マスターズ、ちゃんと面白いんじゃないか。

 

 

「もう終わりでもいいと思ってたんですけどね、そんなことはなかった」

語る口調に、GP前の翳りはもうない。
W、dotto、HARU…強者たちとの戦いの中に、彼の求めた濃密な時間は確かに存在したのだ。ゲームは変わってなどいなかった。

 

 

だから、とえんがわは言う。屈託のない笑顔とともに。

「デュエル・マスターズ、やめらんねぇな!」

 


カテゴリ:カバレージ

“ボルバルブルー”を携えて(後編)

エターナル・リーグ中部エリア予選。
ろっぴーと蒼雷が激闘を繰り広げたあの日から少し、時は遡る。

2004年6月19日。
ワールドホビーフェア2004へと。
彼が《無双竜機ボルバルザーク》と出会った日へと。

 

 

 

彼は、当時としては平均的なDMプレイヤーだった。

ポケットモンスターカードゲームを通じてTCGを知り、友人に勧められて遊戯王OCGを買い、コロコロをきっかけにMtGをプレイし、デュエル・マスターズに辿り着いた。
 
 
 
そのころの彼にとってTCGはまだ数あるホビーの1つで、それだけに没頭していたわけではない。1999年に発売された「ニンテンドウオールスター! 大乱闘スマッシュブラザーズ」もまた、彼を熱中させたゲームの1つだ。
 
持ちキャラを青いカービィと決めていた彼が、” Kirby Blue “を名乗るようになるまで。
つまり” K.BLUE “を名乗るようになるまで、さほど時間はかからなかった。  
 
 
 
幕張メッセへ向かう道すがら、K.BLUEは新弾のカードに思いを馳せていた。
頭にあるのは殿堂構築のことではない。

初めての殿堂入りが発表され、殿堂レギュレーションが制定されたのは3ヶ月前、3月15日のこと。
第1回目の殿堂入りに選ばれたカードは5枚。

■《アストラル・リーフ》
■《エメラル》
■《サイバー・ブレイン》
■《ストリーミング・シェイパー》
■《ディープ・オペレーション》

見事なまでに青一色。初期のデュエル・マスターズでどんなゲームが展開されていたのか、だいたい想像がつくだろう。

しかし、現代の感覚からは信じられないかもしれないが、このリストが適用されていたのは公式大会の本戦だけだった。公式大会のサイドイベントから店舗の公認大会に至るまで、ほとんどの大会に殿堂レギュレーションは採用されていなかったのである。

だから、コロコロコミックの事前情報を見ていち早く《ボルバルザーク》に気づいていたK.BLUEが念頭に置いていたのは、それをいかにして《アストラル・リーフ》と組み合わせるかということだけだった。

このとき彼が会場で組み上げたのが、のちに「ボルバルリーフ」と呼ばれるアーキタイプである。
新カードのトレードに奔走し、サイドイベントに出場しなかったWHF当日こそ勝利は挙げられなかったものの、そのデッキは直後の公認大会で期待に違わぬ強さを見せた。

他のプレイヤーが影響を受けないはずもなく、「ボルバルリーフ」は関東圏で燎原の火のように広まった。公認大会に出れば、誰かが必ず「ボルバルリーフ」を使っていた。

 
 
 
だが、奇妙なことに。
「ボルバルリーフ」が広まったにも関わらず、プレイヤー達が《ボルバルザーク》を殿堂構築へ持ち込むことはなかった。

彼らにとって《ボルバルザーク》は弱いカードだったのである。いかに大会で勝利を重ねようと、その認識は変わらなかった。

原因は、DM-08で登場した《スケルトン・バイス》にある。

 
 
 
《スケルトン・バイス》は、手札を2枚破壊する4マナの呪文だ。同じ4マナで最大5枚の手札補充を可能とする《アクアン》には及ぶべくも無い。

だがそれはあくまで 《アクアン》に及ばないというだけのこと。強力なドローソースを持たない他のアーキタイプに対しては極めて強力なカードだった。
3月の殿堂発表により《サイバー・ブレイン》、そして《アストラル・リーフ》を失ったデッキ達に、《バイス》への対抗策はなかった。

だから《ボルバルザーク》を殿堂構築で使おうなんてことは、《リーフ》のない《ボルバルザーク》を使おうなんてことは、全くのところ夢物語だった。ろっぴーが持ち込んだ赤緑の《ボルバルザーク》が追従者を生まなかったのはつまり、そういうことだった。
プレイヤー達が信じていたのはドローソースであり、決してフィニッシャーではなかった。

デュエル・マスターズはリソースのゲームだと。
そういうことになっていたのだ。

 
 
 
 
2004年の夏。
WHFの後も、K.BLUEは毎週のように公認大会を巡っていた。2002年の発売と同時にデュエル・マスターズを始めた彼の行動範囲は、しばらくは実家のある練馬だけだった。しかしこの頃になると、池袋や西葛西まで足を延ばすようになっている。

きっかけはインターネットだった。チャットサイトや掲示板で知り合ったプレイヤーに誘われ、相手が通う店まで遊びに行く。そんなことを繰り返しているうちに友人の数は増え、行動範囲も広がった。

当時は日本でブログサービスが普及し始めた時期でもあり、少しずつネットにデッキリストが上がるようになっていた。掲示板でのデッキ診断もこの頃からの文化で、プレイヤーの構築力を鍛える一助となっていた。

だが所詮、ネットにあるのは構築の話。プレイングまでは分からない。だから会って対戦し、技術を磨き合う。 
それが当たり前の時代だった。プレイの指針をはっきりと説明してくれる人間はまずいない。誰も彼もが暗闇の中で試行錯誤していた。

必然、プレイの上達が遅い人間というのは出る。K.BLUEはどちらかと言えば遅い方だ。
しかし、当時の彼は勝利に拘りすぎないプレイヤーだった。手当たり次第にデッキを組んでは公認大会へ出場し、遊ぶ。
頻繁に「ボルバルリーフ」によって粉砕されていたが、気にする素振りも見せなかった。

そんなK.BLUEが、あのデッキに到達したのは必然だったのかもしれない。

 
 
 
 
当時、エリア予選へ出場するためには抽選を乗り越える必要があった。ハガキを送り、当選の連絡を待つシステムだったからだ。
倍率は高く、K.BLUEが当選したのは関東エリアだけだった。友人達の遠征に付き合った時は会場でサイドイベントに興じ、「ボルバルリーフ」を使った。最初のエリア予選である北信越ではまだそのデッキは広まっておらず、彼は1日で80勝以上を挙げている。

だが、遠征中のK.BLUEは悩んでいた。
殿堂レギュレーションに、エリア予選に持ち込むためのデッキが思いつかなかったのだ。サイドイベントだけで勝っていても仕方がない。

思考の末、彼は当時としてはやや奇抜なアイデアに辿り着く。

” 「ボルバルリーフ」を、殿堂構築に対応させれば良いんじゃないのか? “

《アクアン》のないデッキで《バイス》が飛び交う環境を戦い抜こう、という発想である。当時の競技プレイヤーのほとんどは、思いついても即座に否定するだろう。

だが勝利に拘りすぎないこの男は、そうした制約と無縁だった。直ちにデッキを組み替え、調整を重ねる。
《ラブ・エルフィン》と《転生プログラム》を組み合わせたりといった試行錯誤を繰り返した後、ついに彼はあのデッキを手に入れた。

青と緑に、《ボルバルザーク》の赤を加えた3色のデッキ。

WHFで彼が見つけた「ボルバルリーフ」に良く似ているが、決して「ボルバルリーフ」ではないデッキ。

彼が手に入れたのは、まさしく「ボルバルブルー」だった。

 

 

そうして、物語は再び幕張メッセに立ち戻る。

エターナル・リーグ最後の予選、関東エリアは幕張メッセ。 
時代の始まりと同じ場所で、K.BLUEはAブロック予選を戦っていた。

彼は順調に勝ち進んだ。恐れていた《バイス》は第1回戦で「化身コントロール」に撃たれたものの、トリガーを踏まなければ勝ちという状況まで粘り、《ボルバルザーク》で勝利を挙げている。

DM-10で多色カードが登場して以来、殿堂構築の環境はブラック、ホワイト、グレーの「アクアン」一辺倒だった。その間隙を縫って「化身コントロール」などが生き残っていたものの、少数派である。

この時、《バイス》を採用していたのは「アクアンブラック」、そして「化身コントロール」ぐらいのもの。他のローグデッキなども分布していたことを考えれば、《バイス》が圧倒的多数を占めていたというわけではなかったと推察される。
多くのプレイヤーが感じていた” 《ボルバルザーク》は《バイス》に弱い “という見立てそのものは誤りではなかったが、” だからTier1ではない “と断じていたのはやや早計だったのではないだろうか。

そうした状況だったにも関わらず” 《バイス》が怖い “という幻想が壊れなかったのは、大会の少なさゆえ、情報の少なさゆえだろう。
あるいは” 《アクアン》で勝てているのだからそれで良い “という慢心ゆえであったのかもしれない。

ともかく、リソースを取り合うコントロールゲームから脱却出来た人間はごく僅かだった。スピードという概念は《機神装甲ヴァルボーグ》が活躍した2003年を境に失われたように見えた。
だがろっぴーとK.BLUEはその概念を再び発掘し、殿堂構築へと持ち込んだのだ。

そのろっぴーは、優勝という戦績を勝ち取っている。
K.BLUEもまた、あと少しで同じものを手に入れようとしていた。

あと、ほんの少しで。

 

 

関東エリア予選は、決勝戦を残すのみとなっていた。対戦卓の片側にはK.BLUEが座る。興奮とも緊張ともつかぬ感情が彼の心を支配していた。

公式大会での入賞とは無縁だった。店舗大会での優勝も多くはない。その自分が、決勝を迎えようとしている。

夢か現か。そう考えるK.BLUEの目が対戦相手を捉えた。
途端に、夢だと思い込みたくなった。

 

 

反対側の席に座ったのは大日向。
2003年に行われた、史上初めての日本一決定戦で優勝した選手。

この関東エリア予選の時点で、間違いなく日本最強の男である。

 

 

黒服のジャッジがゲームの開始を告げた。K.BLUEは相手のデッキを測りかねていた。
《アクアン》だろうか?それとも、《ボルバルザーク》に気づいているのだろうか?

日本一の選択は、そのどちらでもなかった。K.BLUEは、マナゾーンに置かれたカードを見てたちどころに状況を理解した。
目の前の男が使っているのは「白赤速攻」だ。

 

 

速攻というアーキタイプの成立は《解体屋ピーカプ》や《襲撃者エグゼドライブ》が登場した2003年に遡る。現代のプレイヤーでも、アーキタイプの存在は知っているだろう。

しかし、この種のデッキが2004年時点で活躍していたとは言い難い。殿堂発表前は《エメラル》や《アングラー・クラスター》を搭載した「青単」がいたし、殿堂発表後はブロッカーを並べる「アクアンホワイト」が環境の一角を占めていたからだ。

おまけに「白赤速攻」がDM-10で得たものと言えば、《予言者クルト》だけ。待望の1コストクリーチャーと言えど、カードが1種類増えた程度で動きが変わるアーキタイプではない。
何故、大日向はこのデッキを選んだのか。K.BLUEには分からなかった。

 

 

ゲームは6ターン目を迎えていた。序盤の《シビレアシダケ》で既に7マナに達しているK.BLUEだったが、顔に安堵の色はない。
引かないのだ。《ボルバルザーク》を。

相手の場には《ブレイズ・クロー》が2体に《時空の守護者ジル・ワーカ》が1体。そして手札には《エグゼドライブ》を抱えていると、K.BLUEは知っている。
そのK.BLUEの場には、アタックできるクリーチャーが3体。

シールドは互いに2枚。

 

手札の《大地》で《ジル・ワーカ》を除去すれば勝てるかもしれないが。
相手のシールドから《ホーリー・スパーク》が出てこないとも限らない。

負けられない状況を経験するのは初めてだった。公認大会とは異質なエリア予選の空気を、彼はようやく実感した。
既に日本一を経験した大日向。そうでないK.BLUE。2人の間には、目に見えぬ差があった。

時として、そうした差はデッキの相性を凌駕する。

 
 
 
 
結局、K.BLUEがプレイしたのは《アクア・ハルカス》だった。手札には状況を打開するのに十分な除去カードがあったにも関わらず、 《ボルバルザーク》を手に入れようとドローカードに手を伸ばしてしまった。 
《ボルバルザーク》は引けたものの、その瞬間にミスに気づく。仕方なく《大地》で自分の《ハルカス》をマナの《アクア・サーファー》と入れ替え、相手の《ブレイズ・クロー》を手札に戻して望みを繋いだ。
 
 
だがターンを得た大日向は即座に《エグゼドライブ》を召喚し、残る3マナで《マグマ・ゲイザー》をプレイ。W・ブレイカーを得た《エグゼドライブ》がシールドを割り切り、勝負を決めた。

K.BLUEとてこの単純な詰みに気づかなかったわけではない。負けたくないという思いが判断を誤らせたのだ。ここに来て、勝ちに拘りすぎてしまった。
頓死と言って良い。

そうして関東エリア予選は終わったのだが。
決勝を終えたK.BLUEの顔は、意外にもさほど暗くなかった。

まだ、チャンスが残されていたのである。

 

 

 

2004年にだけ行われた大会があった。” シャイニング・シックス・バトル “という。

全国大会の日、11月21日の午前中に、各エリア予選の準優勝者9名を集めて行われた大会だ。上位6名は午後からの全国大会へ出場することができた。

同じタイミングで行われた” エターナル・リーグ最終予選 “とは雲泥の待遇だ。シャイニング・シックス・バトルの横で同時進行となった最終予選を抜けられるのはたったの1名。対するこちらは9人中の6名である。落ちるほうが難しい。

関東エリア予選からおよそ3ヶ月。
「ボルバルブルー」の衝撃は全国を駆け巡り、メタゲームに少なからぬ影響を与えていた。その意義を理解し使うものもいれば、《ボルバルザーク》に強烈なメタを貼って優位に立とうとする者もいた。

この日、レギュラークラスの最終予選へ出場したライカルは《ボルバルザーク》を使わない側の選手だった。中学生だった彼は赤抜きの「4Cイニシエート」を使い、同じ神奈川に住む盟友・iwataと決勝で激突。辛くも勝利し、自身初となる全国大会への出場を果たしている。
またオープンクラスの最終予選へは、K.BLUEの友人である月心が出場していた。関東エリア予選後に発売されたDM-11から《聖皇エール・ソニアス》を採用した「アクアンホワイト」で、3位に食い込んでいる。

そうした事実をK.BLUEが知ったのは後からだった。シャイニング・シックス・バトルへ全身全霊を傾けていた彼に、会場の様子を確認する余裕はない。
エリア予選と変わらずボルバルブルーを使い、無事通過。残すは16人で戦う全国大会の4ラウンドのみ。

第1ラウンドの相手は、あの” 日本最強 “だった。
雪辱を晴らす、これ以上ない好機のはずだった。

だが、そうはならなかった。

 

 

因縁の男と3ヶ月ぶりに対面したK.BLUEだったが、勝敗は3ヶ月前と変わらなかった。
大日向は相変わらず「白赤速攻」を使っていたし、そのデッキはDM-11で強化されてもいないはずだったのに、結果は同じだった。

大日向は、当然のように勝ち進んだ。
直後の2回戦で、アクアングレーに勝利。続く3回戦ではアクアンホワイトを撃破している。
ヤマを張り、1点賭けしてきたわけではない。この環境で戦えるデッキと判断した上で「白赤速攻」を持ち込んでいるのは明らかだった。

K.BLUEは分からなかった。3ヶ月前からずっと、日本一の男が何を考えているのか検討もつかなかった。

あのエリア予選の後、彼は大日向のリストを何度も眺めた。
《双光の使徒カリュート》が3枚しか入っていないのはまだ良いとしよう。しかし《凶戦士ブレイズ・クロー》も3枚しか入っていないのはどういう訳なんだ?
1コストのクリーチャーによる速攻こそがあのデッキの強みじゃないのか?どうして「白赤速攻」を選んだんだ?

大日向の背中が、遠く見えた。

 

 

デュエル・マスターズとて、勝負事の1つには違いない。自らの才を信じる者たちが集う場での負けは、少なからぬ苦痛を伴う。
大きな敗北の後に競技プレイヤーが感じる胸の痛みを、この時のK.BLUEも感じていた。

今日の自分は、ここで終わりなのだ。

文章にしてみればたった十数文字に過ぎぬ事実が、彼の心を責め苛む。

デッキには本当に自信があったのに。
そう思う彼の目に、決勝卓が映った。

瞬間。
まだ「ボルバルブルー」が終わっていないことを、K.BLUEは理解した。

 

決勝戦へと進んだ大日向。反対側の席にいるのは、中部エリア代表のろっぴーだった。

初めて《ボルバルザーク》を持ち込んだ彼が、日本最強の男を待っていた。

” ボルバルブルー “を携えて。

 

 

 

速攻であるにも関わらず、大日向が初めてカードをプレイしたのは先攻2ターン目だった。
続く3ターン目にも2体のクリーチャーを追加し、先ほど出した《予言者ウィン》でシールドへアタック。
4ターン目には《時空の守護者ジル・ワーカ》が現れ、《ボルバルザーク》に睨みを聞かせつつ3体のクリーチャーがシールドをブレイクする。

後攻4ターン目。ろっぴーのターン。彼の残り1枚となったシールド。
決着は近い。

2ターン目に《シビレアシダケ》で《ボルバルザーク》をマナに置いた。3ターン目には《ラブ・エルフィン》、《エナジー・ライト》で手札を整えた。
そしてこの4ターン目。《アシダケ》を召喚して《大地》で《ボルバルザーク》に変え、《ハルカス》で1枚ドロー。

マナを使い切ったろっぴーは、《アシダケ》でアタックを宣言する。

 

大日向の側から見たとき、《アシダケ》のアタックは止められない。ブロックしたところで《ジル・ワーカ》の破壊に至らないからだ。必然的にシールドはブレイクされることになる。

だがそこから《ホーリー・スパーク》が現れ、ろっぴーの貴重なターンを失わせた。

 

 

奇妙なゲームだった。先攻は4ターンしか経過していないにも関わらず、後攻は5ターン目へ突入している。
《ボルバルザーク》が与えた、正真正銘最後のターンが始まった。

ろっぴーは《サーファー》を召喚し、《ジル・ワーカ》を手札へ戻す。
本当は《呪紋の化身》を場に送り込み、安全に勝つ予定だった。だが《スパーク》で計算が狂い、除去にマナを使うよう強いられている。

もうろっぴーに出来るのはアタックすることだけだし、大日向に出来るのはシールドに《スパーク》があるよう祈ることだけだ。

あるか、ないか。
デュエル・マスターズの要素の1つを突き詰めたような、そんな光景が2人の前に広がっている。

ろっぴーは、《ボルバルザーク》を横に傾けた。

 

 

《ボルバルザーク》がブレイクしたシールドに、《スパーク》はなかった。
《シビレアシダケ》がブレイクしたシールドに、《スパーク》はなかった。
《ラブ・エルフィン》がブレイクしたシールドに。

 

《スパーク》は、なかった。

 

 

そうして、ろっぴーと「ボルバルブルー」が日本一になった。

 

 

決勝戦が終わった後。
ついさっきまで日本一だった男にK.BLUEは駆け寄った。分からないままエターナル・リーグが終わるのは、耐えられなかった。
デッキリストを見せてもらい、関東エリア予選の時からずっと抱えていた疑問をぶつける。

「どうして《凶戦士ブレイズ・クロー》を3枚しか入れていないんですか?」

関東エリアの時も、この日のリストもそうだった。

大日向はあっさりと答える。

「持ってなかったから」

持ってなかったから?
K.BLUEは目の前の男の答えを理解出来なかった。” 持ってなかった “だって?コモンのカードだぞ。

「えっと…じゃあ…《双光の使徒カリュート》が3枚しか入ってなかったのも…」

「それも持ってなかったんだよねぇ」 

《カリュート》もコモンだ。

「…最後に、1つだけ。今日、《光器ユリアーナ》を1枚だけ採用していたのはどうしてですか?」

「面白いからかな。1枚しか持ってないし!」

その言葉を残して大日向は去った。後には、呆気に取られたK.BLUEだけが残された。エターナル・リーグは終わった。

 

 

後年、K.BLUEはデュエル・マスターズの開発に携わっている。その際、「カードゲーマー」誌上で連載を持つことになった。

彼が担当したコラムのタイトルは、” 最強のデッキはない! “。
「ボルバルブルー」を作った男らしからぬ命名と言える。少なくとも、あのデッキは日本一になったというのに。

プレイヤーとしての活動を終えるその瞬間まで、K.BLUEは分からないままだったのかもしれない。大日向という男のことが。

 

 

「ボルバルブルー」の優勝から約4ヶ月後、2005年3月15日。第2回の殿堂改訂が行われ、1枚のカードが新たに殿堂入りした。

■《アクアン》

一部で” ボルバルザークを禁止に! “という運動が始まっていたものの、《ボルバルザーク》は殿堂を免れた。確かにこの時点では” 「ボルバルブルー」は《バイス》で対策可能 “というのが定説ではあった。
だが、「アクアン」と「ボルバル」がTier1として共存していたゲームから、片方だけを取り除けばどうなるか。

 

《アクアン》が一線を退いた後、「ボルバルブルー」はミラーマッチへの対応に迫られた。そして当然のように《バイス》を取り入れ、「4Cボルバル」が誕生する。
さらに2005年3月26日、DM-13が発売。《炎槍と水剣の裁》が解き放たれ、環境は坂を転げ落ちるように悪化していく。

そんな状況が許されるはずもなく、2005年7月15日の第3回殿堂改訂で4枚のカードが殿堂入り。

■《スケルトン・バイス》
■《ヘル・スラッシュ》
■《ロスト・チャージャー》
■《無双竜機ボルバルザーク》

だが《ボルバルザーク》の勢いは衰えず、場所によっては” 公認大会参加者の7割以上が《ボルバルザーク》を使う “という事態へと発展。改善されぬまま、2005年の公式大会は続いていく。

” これはデュエル・マスターズじゃない “と。
” これはボルバルマスターズだ “と。

競技プレイヤーたちは、そう言っていた。

だが、それは決して諦めの言葉だったわけではない。選手たちは《ボルバルザーク》を手にジェネレート・リーグへ飛び込み、エリア予選を戦い抜き、そして日本一決定戦を迎える。

 

 

この時、エリア代表達の中に1人だけ異彩を放つ男がいた。
2003年から始まり、2005年で3度目となる全国大会。その全てに出場している男。

後に空前絶後の大記録を打ち立てるhiroが、そこにはいた。


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DM史:15年間を礎に

15年。
デュエル・マスターズが始まってから、15年。
2017年度の日本一決定戦、あの場所に至るまで、15年。

多くのプレイヤーが現れ、そして去っていった。
公式大会で勝ち抜いた選手。CSで優勝した選手。
皆、現れては去っていった。

全員の名を挙げられるわけではない。けれど、誰1人知らずに過ごしているわけでもない。

初代日本一である大日向。
日本一に3度輝いた”絶対王者”hiro
ネクラギャラクシーで頂点に立ったPULU
《アンラッキーダーツ》で《光牙忍ハヤブサマル》を引き抜いて見せたPhoenix。
白青マーシャルで”鬼面サーフ”の名試合を生んだあばばば
自分の好きなデッキを信じた”天門のカギを持つもの”じゃきー
GP優勝と日本一、2つの称号を唯一持つせいな

CS入賞数では群を抜く実力者、ユウキング。
第1回レジェンドCSに《ビースト・チャージ》を持ち込んで優勝をかっさらったラスゴ
史上最大の個人戦CSで優勝したカロン。
第2回レジェンドCSで鮮やかなループを披露したロマノフsign

 
 
 
日本一。CS。
 
 
 
 
各々の分野である種の頂点に立った彼らはしかし、もう1つの分野で頂点に立つことは叶わなかった。
日本の頂点に立ち、他方でCS入賞数トップを誇る。そんなのは絵空事だった。
15年間、そうだった。
 
 
 
だが、今年の日本一であるdottoは違う。
 
 
 
dottoはもともと、”CSにおける強者”に該当する選手だ。DM:Akashic Recordのランキングでは4位につけ、2016年度までのCS優勝は7度。そこには黎明期から続く伝統あるイベント、おやつCSでの実績も含まれる。
高い実力を持っているのは明らかだ。なのにエリア予選でだけ勝利に見放される。

2017年度もそうだった。エリア予選での優勝は叶わなかった。
だが冬に入ってからCS優勝を重ね、DMPランキングを駆け上がり、1位に輝いた。

その”CSにおける強者”が、日本一になった。

 
 
今年の日本一は”違う”。
あの日、戦いが終わった後にそう感じた選手たちがいる。
今までと違う何かを見せられた。このゲームに対する自分たちの認識は間違っていたんじゃないかと思わされた。
決勝戦でdottoを相手取ったちゃそも、その1人だ。

「悔しかったですよ。負けたのもそうですし、あの日までの自分が”デュエル・マスターズなんて努力してもしなくても結果は変わらないでしょ”なんて思ってしまっていたことも悔しい。
 でもね…それ以上に楽しかった、面白かったんです。デュエル・マスターズというゲームの深さに、彼が気づかせてくれたから」

 
 
あの日、何があったのか。
あの場で、どんな想いが交わされたのか。
 
 
 
取材を申し込むと、dottoは快諾してくれた。

「夢だったんです。全国大会に出るの」

そう話す彼は、落ち着いた声で振り返る。

2018年3月11日。
日本一決定戦が行われた、あの日のことを。

 
 
 
 
 
 
dottoは長い間、全国大会への出場を願っていた。エリア予選への出場は7度に及ぶ。
だが、勝てない。

決して間違ったデッキを使っているわけではない。ベスト8入賞を果たしたこともある。
けれど、勝ちきれない。
ゲームそのものに見放されたのではないかと思ったことすらある。

2013年、E3期。
中国エリア予選に出場したdottoは、3人卓に案内される。意気揚々と対戦の準備を始めたdottoだが、結果は最悪だった。
予選を終えた時点でdottoがプレイ出来たカードは0。手札には高コストのカードだけが溜まり続けた。
彼のエリア予選は、始まりすらしなかった。

12月に行われた今年度のエリア予選で使ったのは、赤ジョーカーズだと言う。同型対決を嫌い、メタる側に回るべくビートジョッキーの使用を避けた。
だが、ともに調整したピカリがビートジョッキーを使って優勝する。またdottoは勝てなかった。

いつもならここで全国への挑戦は終わっていただろう。だが今年は違う。全国大会出場権が、DMPランキングの上位報酬にある。
権利を得られるのはわずかに3名だが、dottoにとって無謀な賭けではなかった。
彼には勝算があった。

 
 
 
9月に行われたGP5thでの敗北をきっかけに、dottoは奮起していた。
GPが終わるや否や出場できるCSに片っ端から登録し、土日は大会を最優先にした。

熱意が結果に結びついたのは11月。白緑メタリカを手に、4週連続のCS優勝を達成した。30〜40位付近だった順位は一気に1桁へ。

「この時、”行けるかも”と思ったんです」

そう語るdottoは、12月のエリア予選以降も関西で特に使用者が増えたメタリカと戦いながら白星を重ねた。
メタリカが増えたのは彼の影響に他ならない。請われれば分け隔てなく教える性格が故だ。
自身の技術を教えてもなお、勝てる。それがdottoだ。

自分が最高のチャンスを手にしていると分かっていた。憧れたあの場所が、これほど間近に見える機会はなかった。全国大会が手の届く距離にあることを理解していた。
だから、彼は走り続けた。

 
 
 
ランキング集計期間の終盤、デッドヒートが始まる2月。dottoはCSへ出るたび、そこで会う選手たちから「頑張ってください」と声をかけられるようになっていた。

下旬。順調にポイントを積み重ねていた彼のTwitterアカウントにダイレクトメッセージが届く。
ランキングのTOP3を争うdarkblueからだった。

「2月25日、オーズCSで決着をつけませんか?」

dottoは、darkblueと対戦したことがなかった。darkblueと同じ会場にいたことはあっても、ともに3人チーム戦へ出場したことはあっても、マッチングしたことはない。
そのdarkblueが決着をつけようという。集計期間最終日、同じイベントで戦おうと。

dottoを避けて別のイベントへ行き、ポイントを稼ぐことも出来ただろう。
だが彼はそうしなかった。だから、dottoもそうしなかった。

 
 
 
結局、そのイベントでも彼らが対戦することはなかった。だが1つの決着がついた。

dottoは5位入賞。
darkblueはポイント圏外の戦績。

「とても悲しそうな顔をされていました」

dottoはそう語る。darkblueもオーズCSの結果はショックだったと認める。

「自分は、ランキングで3位に入れるかどうかギリギリのラインにいたんです。同じ愛知のロマノフsignとほとんどポイントは一緒で、気が気じゃなかったですよ。
 オーズCSの日も、彼が出ていた津CSのオンラインペアリングを見て状況を確認し続けていました。そうしたら向こうは最初の3回戦で3勝していたんです。一方の自分はポイント圏外で、正直終わったと思いました。
 でも最終的にロマノフsignも3勝3敗でポイント圏外になって…もし彼があと1勝でもしていたら、自分は全国大会に出られなかったでしょう」

全国大会出場が正式に決まったのは、2月26日。その日まで、darkblueは心休まる暇がなかったと言う。
だが、3月11日の全国大会まであとわずか。出場権利を獲得したからといって休めるわけでもない。

dottoとてそうだ。
あばばばとピカリを交え、ランキングが確定するとすぐ最終調整へ移った。

 
 
 
dottoにとって、調整とは選択肢を消す作業だ。数あるアーキタイプをひたすら試し、実用に耐えぬものを候補から消す。
作業場として選んだのはカードボックス江坂店。火曜と木曜の夜に行われる調整会は、恒例のイベントになっていた。

dottoは、メタゲームの中にいるデッキを全て持つようにしている。今に始まった事ではない。6年ほど前からずっとそうだ。
山と積まれたアーキタイプをピカリにぶつけ、強み弱みを把握していく。

最終調整を始めた時、候補として残っていたのは7つ。
即ち、
・ジョーカーズ
・赤青t白バスター
・墓地ソース
・ジャバランガループ
・ゲイルヴェスパー
・赤黒バスター
・青黒ハンデス
だ。

その候補を試し、全国大会1週間前の時点で3つに絞り込んだ。
・ジョーカーズ
・赤青t白バスター
・墓地ソース
の3つへと。

この中から1つ、選ばなければならない。
3択を迫られたdottoが思い出したのは、過去の自分だった。

 
 
 
本格的に競技DMへ傾倒してから今年までの6年間、彼はほとんどメタを読む側、強いデッキをメタる側にいた。
しかし今年は違う。今年のデュエル・マスターズはプレイングの難しさが突出していると断じ、純粋に強いデッキを使うよう心がけた。夏は青黒ハンデス、冬は白緑メタリカを使って勝ち続けてきた。

そして、その心がけを捨てたエリア予選で負けた。強いデッキをメタる側に回った試合で負けた。

 
 
 
ジョーカーズは、バスター系統に不利。
墓地ソースはジョーカーズや赤青バスターなどのトップデッキに強いものの、カードパワーの面で他デッキに劣る。
バスター系統のデッキは回れば楽に勝てるカードパワーを持っていて、引き込んだカードが多少弱くても巻き返すだけの力がある。2月の第3週にCSへ持ち込み、プレイした経験もある。

今までの自分じゃないんだ。今年の自分のスタイルで勝つんだ。
恐れずに行こう。

当日から5日前、3月6日。
dottoは赤青t白バスターを選んだ。

 
 
 
 
3月10日。
赤青t白バスターという結論を得たdottoは、東京に前日入り。現地であばばば、ピカリらと合流する。
この時点で彼のデッキには《閃光の守護者ホーリー》が入っていた。なんとかして《龍素記号Xf クローチェ・フオーコ》も入れようと友人たちに相談を持ちかけたdottoだったが、ここで思いも寄らぬ答えを返される。

「《Dの牢閣 メメント守神宮》、入れたら?」

それは、あばばばが東京行きの電車の中で辿り着いたカードだった。

 
 
 
ピカリが赤青t白バスターを選んだあと、あばばばは同系戦で勝つためのカードを探していた。あの大舞台でミラーマッチが起こらないと考えるのはいささか楽観が過ぎる。
そう考えて《龍覇 グレンモルト》や《早撃人形マグナム》を試したが、採用にまでは至らない。

そんな時、不意に思い出したのはサザンのミラーマッチだった。
バスターのミラーマッチが横に並べあうロングゲームになるであろうことはおおよそ検討がついている。であれば、同じく並べ合いとなるサザンの同系戦におけるキーカード、《Dの牢閣 メメント守神宮》を採用するというのは実に理に適った発想ではないか。

《Dの牢閣 メメント守神宮》なら、《光器セイント・アヴェ・マリア》を使って《閃光の守護者ホーリー》のケアが出来る。何かの間違いで《終末の時計 ザ・クロック》を踏んでもDスイッチで凌ぐことができる…様々な場面への対応力を得る、魔法のカードだった。

一方のdottoが持ち込んだ《龍素記号Xf クローチェ・フオーコ》は、墓地ソースやジャバランガループへの対策だ。ブロッカーを持つこのクリーチャーは、最悪でもジョーカーズなどの足止めになる。
話し合いの末に、彼らは両方のカードを採用することにした。

 
 
 
ホテル入りしたdottoはそのままひとしきりピカリと回す。
彼が寝ると代わりにおんそくを捕まえ、また回した。もともと情報交換をしていた相手であり、構築を見せることに抵抗はない。

調整は続き、深夜3時に及んだ。ここでおんそくのプレイ精度が落ちてきたことに気づき、調整を切り上げる。

dottoは、不思議と眠くなかった。眠れたのは4時で、起床は6時半。
わずか2時間半の睡眠ながら、コンディションは良かった。
7時半にはホテルを離れ、8時に会場へ。
待ち焦がれた全国大会は、午前9時から始まった。

 
 
 
長年、夢見るだけだった場所に、憧れるだけだった場所にdottoはいた。
全国大会という場でデュエル・マスターズをプレイする。深い満足を覚えた彼はしかし、意識を引き戻す。

まだだ。
満足するために来たんじゃないんだ。
勝つために来たんだ。

脳裏を過ぎったのはあばばばのことだった。2011年度、E1期に白青マーシャルで全国を制したあばばば以来、関西は王座から遠ざかっている。
そのあばばばが調整に協力してくれた。思いを無には出来ない。
6年越しの王座奪回を、dottoは心中密かに誓っていた。

 
 
 
果たして、調整は実った。予選5回戦を通し、負けは無し。
圧倒的な経験と知識は、dottoに相手を観察する余裕すら与えた。

予選3回戦で訪れたdarkblueとの初対戦を振り返るdottoは「darkblueさんの手が震えているのが分かりました」と事も無げに言う。
一方のdarkblueは「とても緊張していました」と率直に語った。

「まさか自分なんかが全国大会に出られるとは思っていなかったですし、昨年、一昨年と中部勢が優勝している事も頭にあって…」

darkblueにとって、dottoは「一生追いつけないプレイヤー」だ。

「自分が全然勝てなくて、名前も知られていなかった頃からdottoさんはずっと勝ち続けていました。2017年の自分は調子が良い時期もあり、過去最高の戦績を残せたのですが…それでも彼には敵わなかった。本当に、尊敬しています」

 
 
 
もちろん、dottoとて何も感じていなかったわけではない。シールドをブレイクする感覚が、カードをプレイする感覚が、平時とは段違いに重い。
試合を経るごとに感情は昂ぶり、最高の舞台で戦っているという実感はいやが上にも増すばかり。

これほどまでにデュエル・マスターズを楽しんだことがあるか。
これほどまでにデュエル・マスターズは楽しかったのか。

1ゲーム、いや1ターンでも長くこの場にいたい。

そう願う彼に最大の試練が訪れたのは、準決勝だった。このとき状況を理解していたのは、対戦卓に座ったdottoとピカリ…そして観戦席のあばばばだけだった。

 
 
 
3人はともに調整し、当日存在すると踏んだ”ほとんどの”デッキになんらかの回答を用意すべく努力してきた。
“全て”ではない。
たった1つだけ回答を用意出来ていないデッキがあることを、3人は知っていた。

《Dの牢閣 メメント守神宮》を入れた赤青t白バスター。
前日にようやく辿り着いた48枚、準決勝にいる2人が手にする48枚こそ、彼らが回答を用意出来なかった唯一のデッキだった。

世界で3人だけが理解出来る準決勝を、2人は始めた。

 
 
 
前日、ホテルでの調整において、dottoとピカリはこのマッチアップを経験している。そのゲームはさながらコントロールデッキのミラーマッチの様相を呈していた。
赤青t白バスターの同型対決とは到底思えぬその状況が今、dottoの目の前で再現されつつある。

完全な回答はないにせよ、2人はいくつかのセオリーを知っている。なんの用意もなく《蒼き団長 ドギラゴン剣》で突撃するプレイが許されるのは先攻3ターン目でだけ…というのもその1つだ。《Dの牢閣 メメント守神宮》がトリガーした瞬間に、敗北が決まってしまうから。
《光器セイント・アヴェ・マリア》などで守りを固めねば安全とは言えない。《Dの牢閣 メメント守神宮》を生かす為、低コストのクリーチャーが横に並ぶ。

そのセオリーを2人は正確に追ったが、しかし同時に昨日の時点ではなかった新たな要素についても認識していた。
制限時間だ。

 
 
 
ゲームが終盤に差し掛かった頃、dottoの手札は2つの選択肢を彼に与えていた。
打点を揃えて殴りきるか、それとも盤面を除去しコントロール対決を続けるか。

序盤に1枚ブレイクしているから、ピカリの残りシールドは4枚。
《“龍装”チュリス》と《プラチナ・ワルスラS》で打点を追加し、ぴったり殴りきることも出来る。
場にある自分の《Dの牢閣 メメント守神宮》のDスイッチを使い、盤面の優位を取ることも出来る。
殴りきる選択肢を取った時、勝敗を分けるのは《光牙忍ライデン》と《Dの牢閣 メメント守神宮》だ。

互いのデッキに入っている《光牙忍ライデン》は1枚、《Dの牢閣 メメント守神宮》は4枚であることをdottoは知っている。2ターン前に《龍素記号Xf クローチェ・フオーコ》の効果で《光牙忍ライデン》1枚と《Dの牢閣 メメント守神宮》2枚がピカリの山札に戻ったこと、そのあとに通常ドロー、《月光電人オボロカゲロウ》、《熱湯グレンニャー》で5枚ドローしたことも知っている。

《光牙忍ライデン》を引き込まれていれば負け。
《Dの牢閣 メメント守神宮》がピカリのシールドに埋まっていても負け。

このゲームの先攻はdottoだった。時間切れになれば、必ずピカリまでターンが回る。シールド差の勝負は後手が有利だ。
残り時間は3分。攻撃するなら、おそらく今が最後のチャンスだろう。

 
 
 
dottoは《プラチナ・ワルスラS》、《“龍装”チュリス》を場に並べた。そのプレイの意味するところをピカリは理解した。
手札に《光牙忍ライデン》はない。ピカリはシールドに《Dの牢閣 メメント守神宮》があるよう祈った。dottoは真逆の祈りを捧げた。
 
 
 
捲られていく4枚のシールド。そこに《Dの牢閣 メメント守神宮》はなかった。
 
 
 
決勝だったら良かったのに。そう、dottoは思ったという。
それほどの死闘だった。

「ただただ、しんどかったですよ」

準決勝の結末を振り返った彼は、それだけを呟いた。

 
 
 
直後に迎えた決勝の相手は、関東のちゃそである。dottoと同じく決勝まで上り詰めてきたこの男は、dottoとは対照的なプレイヤーだった。

ちゃそは、はら*が率いたチーム「原一派」に所属し、GP2ndでトップ8入賞の経験を持つ。今回の全国大会出場も、関東エリア予選Cブロックでの優勝によって掴み取っている。
全国大会に向けて調整を始めたのは1週間前からで、実際に対人調整を行なったのはわずかに3時間だけ。

チームに属し、公式大会の実績を持ち、調整時間は短い。dottoとは何もかも違うちゃそが選んだデッキタイプはしかし、奇しくもdottoと同じ赤青t白バスターだった。
もっとも、選んだ理由は異なる。

ちゃそが選択肢として考えていたのは3つ。
・ジャバランガループ
・ロージアダンテ
・赤青t白バスター
である。

そこから赤青t白バスターを選んだのは、いわゆる” ぶん回り”を持つアーキタイプだったからだ。友人たちと都合が合わず満足な調整が出来なかった彼は、相手との対話を拒否出来るアーキタイプを必要としていた。
今日、赤青バスターに《閃光の守護者ホーリー》を入れて出場しているのはそういう理由である。

 
 
 
同種のアーキタイプを選んだちゃそを前にしても、dottoの気持ちは揺らがなかった。ちゃそとは既に予選4回戦で対戦しており、彼のデッキに《Dの牢閣 メメント守神宮》が入っていないことを知っているからだ。
当然、予選では勝っている。

ミラーマッチにおいて勝敗を決めるのは《Dの牢閣 メメント守神宮》であり、それを持たぬちゃそに負けることはない。
そう思っているのではない。事実として知っている。何百回と繰り返した調整が絶対の自信を生む。

しかし予選の彼らの戦いはフィーチャーされておらず、ゆえに大部分の観客はその”事実”を知らない。無論、ちゃそが決勝進出との一報を聞いて配信ページを開いたはら*もそうだった。

 
 
 
画面の向こうで、決勝は既に始まっていた。ちゃそは後手ながらも2ターン目に《異端流し オニカマス》を召喚し、3ターン目には《蒼き団長 ドギラゴン剣》を場に送り込まんと構える。

これは流石に勝ったんじゃないか。そう考えたはら*を責めるのは難しい。
はら*だけではない。全国の視聴者はおろか、その場にいた観客たちですらほとんどが同じ感想を抱いていただろう。

数分で終わる決勝も、それはそれでいいんじゃないか。
そう結論づけたはら*は、配信を見るのを止め、出かける準備を始めた。

 
 
 
実際のところ、ちゃそもはら*と同じ考えだった。
いかに《Dの牢閣 メメント守神宮》が強かろうと、3ターン目に現れた《蒼き団長 ドギラゴン剣》に抗しうるものか。dottoだって焦っているだろう。

そう期待するちゃその目の前で、dottoは落ち着いて状況を確認していた。
《蒼き団長 ドギラゴン剣》の効果で場に出てくるクリーチャーが《勝利のアパッチ・ウララー》なら、負けるかもしれない。けれど、それは大した問題じゃない。
“ぶん回り”はそうそう続かないはずだ。第1ゲームを落としても、後の2ゲームは勝つ。あばばば、ピカリと積み重ねた調整によって、既にこのマッチアップは理解している。

その努力を天が認めたか。ちゃそが出したのは、《熱湯グレンニャー》だった。

 
 
 
 
ゲームが終わるまで、やや時間を要した。dottoのプレイを間近で見たちゃそは憧憬の念を抱いた。

ちゃそは”ぶん回り”があることを理由に赤青t白バスターを選んだ。裏返せば、赤青t白バスターは対話しないデッキだと思っていた。ミラーマッチなんて、引くべきカードを引いた方の勝ちだと思っていた。

その思考を、目の前の男が次々と打ち砕いていく。
自分だけが2ターン目に《異端流し オニカマス》を出せたのに、自分だけが3ターン目に《蒼き団長 ドギラゴン剣》を出せたのに、自分の求めた”ぶん回り”のはずだったのに、dottoの精緻なプレイと練り込まれたデッキはその”ぶん回り”とすら対話し、回答を提示する。

ちゃそは違う。dottoとプレイを通じて対話することは能わず、盤面への回答を見出せない。
2ゲーム目も、それは同じで。

 
 
そうして、6年ぶりに関西が頂点に立った。
 
 
 
 
 
面白かった、とあの日を振り返ってちゃそは言う。

「赤青t白バスターのミラーマッチにあんなにプレイのやり取りがあるなんて、思いもしませんでしたよ。自分の練習不足を痛感しました。結果は負けでしたが、本当に面白かった。
 デュエル・マスターズなんて、努力したって結果は変わらない。そうした考えが馬鹿げてるってことを教えられた気がします。本気でやりこんでいた人たちに対して申し訳なかった。
 そして…出来ることなら、同じ舞台でもう1度戦いたい。そう思ってます」

直接対戦したせいで下手なのがバレちゃっただろうから、相手にされてないかもしれませんけどねとちゃそは冗談めかして笑う。
だが、その目は真剣だ。

関東は、長らく頂点から遠ざかっている。
関西最後の王者は2011年度のあばばばだったが、関東最後の王者は2006年度のhiroにまで遡らねばならない。王者不在の期間は11年に及ぶ。

11年という時間について、明確に把握していたわけではない。けれどなんとなくは知っていたとちゃそは語る。

「関東はプレイヤーの多い激戦区ですけれど、全国的に見て飛び抜けてる選手は中部とか関西の人が多いじゃないですか。関東にも勿論うまい人はいますけど、デュエル・マスターズで強い人と言われるとやっぱりdottoさんやHARUさんのような他地域の選手が上がります。
 地域の現状や長らく日本一が出ていないこと、あべけんさんのことも覚えていて、それで決勝へ行ったときに”勝てないかも”という気持ちが芽生えてしまって‥だから、来年こそは」

あべけんは、2008年度の日本一決定戦で中部のPULUに破れ、2位になった関東の選手だ。2003年度、2014年度にもエリア予選で優勝しており、日本一決定戦3度出場という歴代2位タイの記録を持つ。
そうした強者を抱えていながらも、王座が遠い。決勝までは届くのに、あと一歩が届かない。

再び日本一を目指す理由は、十二分にある。
だが、はら*や”イノベーター”えじま*らチームの中核メンバーはデュエル・マスターズから距離を置き、GP3rdでともにデッキを作り上げたHevean’s Diceも活動を休止。進学と就職による世代交代の波が押し寄せているのだ。

1人では勝てない。GP2ndで《不敗のダイハード・リュウセイ》を獲得できたのは、調整に付き合ってくれた原一派メンバーのおかげだと分かっている。

「本当は、みんなでGPに向けて調整していたあの頃に戻れれば一番良いんですけどね」

ちゃそは寂しそうに笑った。

 
 
 
再びこの舞台に。その思いはdottoも同じだ。
「GP、エリア予選…公式大会で頑張って、もう1度全国の舞台に立ちたいと思っています。普段のCSでは味わえないあの感覚が、あの高揚感が忘れられないんです」

優勝者に与えられたトロフィーは、カードボックス江坂店に飾られている。

「自分かピカリか、どちらかが勝てれば良いと思っていました。事実関係としては把握していたんですけれど、調整中には何も伝えられなかったんですよね。
 だからトロフィーをもらって帰るときに、お店で飾ってくださいとあばばばさんへお願いしました。いいよと言ってもらえて、本当に嬉しかったです」

1人で勝ったわけではない。一緒に調整してくれた人たちがいたからこその勝利だ。そのことを、dottoは誰よりもよく理解している。

「気軽に回せる相手が出来たのは、仕事の都合で江坂店の近くに引っ越してきてからなんです。それまではプレイヤーのいない地域に住んでいたりで、なかなか相手がいなくて。
 ゲームを続ける中で、1人では勝てないと実感しました。デッキ案がまとまらない、なんとか形にしても現実のメタゲームとはちょっとずれている…1人で調整していると、そういうことに気づけないんです。ちゃんと意見交換、情報交換をしないといいデッキは出来ません」

そう語るdottoは既に次を向いている。GP6thで再び彼の勇姿を見ることが出来るだろう。

 
 
 
 
 
 
15年。
デュエル・マスターズが始まってから、15年。
2017年度の日本一決定戦、この場所に至るまで、15年。
 
 
 
15年目の今年、日本一決定戦は劇的な進化を遂げた。

かつての日本一決定戦は、締めくくりとしての意味を持つ大会だった。その物語上の文脈ゆえに、日本一になった選手がその場で引退宣言をした年もあった。

今年の日本一決定戦は違う。参加した誰もが口を揃えてこう言った。最高の戦績を残したdottoでさえもが言った。

「もう一度、この舞台に立ちたい」

日本一。その称号は、もはや終わりではない。物語の締めくくりではない。
これは、新たなデュエル・マスターズの始まりなのだ。CSでGPでエリア予選で、そこかしこで紡がれる新たな物語の幕開けなのだ。

 
 
 
 
15年間を礎に、16年目をさあ始めよう。新しいデュエル・マスターズが、僕らのことを待っている。
 

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DM史:”ボルバルブルー”を携えて(前編)

デュエルマスターズプレイヤーなら誰だって、「あの竜」の名を知っている。 
けれど「あの竜」が支配した時代そのものを知っているプレイヤーはもう、稀だ。この時代の戦いは、公式の記録にも残されてはいない。 

デュエルマスターズの始まりからはや15年。時の移ろいとともに記憶は薄れ、後にはただ名だけが墓標のように残るばかり。 

記録から失われた時代の記憶を書こう。過去を語らずして現代は語れない。 
そう思ったのは、様々な選手にインタビューを重ねていた時のことだ。取材に応じてくれた彼らの話を聞くうちに、このゲームの競技シーンはほとんど一般に知られていないということが分かって来た。 

多くのプレイヤーは、私生活の変化とともにゲームへの向き合い方を変える。 
もし誰も彼らの物語を書き残さなかったとしたら、ゲームから離れたプレイヤーの物語は失われてしまうだろう。 
それだけでなく、彼らが知っている競技シーンの物語もともに失われるだろう。 

そう思い、取材を始めた。まずは黎明期の競技シーンを戦い抜いた関東勢へ。 
最初にコンタクトが取れたライカルは、意外そうな顔をした。 

「今更じゃない?昔の話なんて」 
「そんなことないですよ。少なくとも僕は知りたいです」 
「そういうものかな…君が知りたいのなら、協力するよ。俺なんかで良ければ」 

と、彼は微笑んだ。 

「古い話だけれどね」 

そう呟き、過ぎ去りし日々へと思いを馳せる。 

 

2004年6月19日。幕張メッセ。 
あの忘れ得ぬワールドホビーフェア2004。 

後にデュエルマスターズ史上最悪の暗黒時代と呼ばれる、”ボルバルマスターズ”が始まった日へと。 

 

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【第2回レジェンドCS】準々決勝:いわな VS あばばば

18時半を回っている。
それでも、会場の観客は減る気配がない。

少し前に、決勝の組み合わせが決まった。いわなの相手はあばばばだ。

かつてのレジェンドCSでトップ8入賞を果たし、再びその舞台に現れたいわな。
かつての日本一決定戦で頂点に立ち、今日初めてレジェンドCSという舞台に現れたあばばば。
遜色ない実力を持つ二人だが、両雄並び立たず。次のラウンドに進めるのは一人だけ。

英雄は、ただ一人でいい。
誰も到達出来ない強さの高みを目指すため。
全力を解き放つ。


Game1(先攻:いわな)

先攻のいわなが《コアクアンのおつかい》で手札に3枚のカードを加えれば、あばばばは《神秘の宝箱》で《アルカディア・スパーク》をマナへ。
いわなが呪文を封じるべく《タイム3 シド》を出せば、あばばばは《ウソと盗みのエンターテイナー》を召喚して応じる。

いわなはその《エンターテイナー》をものともせず、《ドラゴンズ・サイン》から《真・龍覇 ヘブンズロージア》、そして《真聖教会 エンドレス・ヘブン》を出した。
《真ロージア》は破壊されたものの、《エンドレス・ヘブン》の効果でシールドが増加。《真・天命王 ネバーエンド》への龍解を達成する。

続くターン、《解体人形ジェニー》で手札を削られながらも、いわなは《シド》を追加し、1体目の《シド》でシールドをアタック。《真ネバーエンド》の効果であばばばのクリーチャーをフリーズさせ、盤面の処理を狙ったのだ。
トリガーの《ドンドン吸い込むナウ》で出したばかりの《シド》を手札へ送還されるも、残る《真ネバーエンド》で《解体ジェニー》を戦闘破壊し、ターンを終えた。

場持ちの良い《真ネバーエンド》をどかせないあばばばは、革命チェンジで《蒼き団長 ドギラゴン剣》を出し、ひとまず《シド》を戦闘破壊。《絶叫の悪魔龍 イーヴィル・ヒート》を出し入れして封印を削る。

一方のいわなは自ターンに《Dの牢閣 メメント守神宮》を貼り、《シド》と《真ネバーエンド》で相手のシールドを減らしていく。
あばばばのシールドはついに0となるが、途中で現れた《界王類邪龍目 ザ=デッドブラッキオ》でようやく《真ネバーエンド》の動きを止めた。

あと1ターン、1ターンだけあれば勝てる。
猶予がほしいいわなはあばばばがターン初めのドローを行うと同時、《メメント守》を反転させた。

全てのクリーチャーがタップされたあばばばはしかし、慌てない。
いわなの手札が2枚であることを確認すると、《勝利のアパッチ・ウララー》を召喚して《真ロージア》をめくり、《アクア・アタック<BAGOOON・パンツァー>》を呼び出した。

そしてスピードアタッカーになっている《ウララー》を自爆させると、いわなの手札からめくれたのは《ミラダンテXⅡ》。《勝利のリュウセイ・カイザー》を盤面へ追加する。その《勝利リュウセイ》を《ドギラゴン剣》へ革命チェンジさせ、呼び出したのは再び《ウララー》。

《禁断~封印されしX~》の封印は残り1。
いわなの手札からめくれたのは、《ミラダンテXⅡ》。

《勝利リュウセイ》が呼び出され、禁断が勝負を決めた。

いわな 0 – 1 あばばば


関西の強豪として知られるあばばばは、しかし日本一と言う頂点に立った後から壁にぶつかっていた。
イベントに出ても、勝てない。競技としてデュエルマスターズに向き合ったときに現れる壁。その乗り越え方が、彼には分からなかった。
「日本一を取ったのに、なぜ」…そう思ってしまった時期もあったという。
乗り越えられたのは、2015年。日本一になってから3年以上の月日が経過していた。

苦闘の経験があるからこそ、あばばばは知っているのだろう。
このゲームの勝ち方を。


Game2(先攻:いわな)

2ターン目に《フェアリー・ライフ》、3ターン目に《爆砕面 ジョニーウォーカー》でマナ加速。あばばばの立ち上がりは早い。
一方のいわなは3ターン連続で多色カードをマナへ置く、重い立ち上がりだ。4ターン目にしてようやく《シド》を召喚する。

その返し、2度のマナ加速によって5マナに到達していたあばばばは《イーヴィル・ヒート》を召喚した。そして《ドギラゴン剣》へ革命チェンジ。
マナから《ウララー》、そして効果で《パンツァー》を出し、一気に勝負を決めにかかる。
だがいわなのシールドからは《メメント守》、そして《レインボー・スパーク》が飛び出した。シールドは削り切ったものの、ダイレクトアタックには届かない。

追い込まれたいわなは考える。この局面を打開するために、自分は何をすべきなのか?

選択したのは《ドラゴンズ・サイン》。《真ロージア》を出し、そこでまた逡巡してから《天獄の正義 ヘブンズ・ヘブン》を選んだ。
《シド》を《時の秘術師 ミラクルスター》へ革命チェンジして相手のシールドを減らす。そしてターン終了時、《音感の精霊龍 エメラルーダ》を出してシールドを増やす。
いわなは決して諦めていない。

そしてあばばばがターンを始めるべく山札からドローしたとき。反転させようと《メメント守》に手をかけたいわなを、あばばばが止めた。

「それ、やめたほうがいいですよ」

《メメント守》の反転効果のトリガーは”ターン最初のドロー”。
通常、ターン最初のドローはアンタップ処理後に行われる。しかし、あばばばは場に《パンツァー》を出していた。
カードの効果によるドローは、アンタップ処理前。このタイミングでクリーチャーをタップしたとしても、すぐに起き上がる。

あばばばは知っていて《パンツァー》を出したのだろうか。
知っていたのだろう。
よどみない彼の動きはそれを証明している。

固まったいわな。目の前であばばばが淡々と場にクリーチャーを追加している。
敗北を悟った彼は思わず叫んだ。

「ダメだ!東京に帰ろう!」

いわな 0 – 2 あばばば


「前日調整がばれた」…観戦していた原一派の長へ、苦笑しつつ語るいわな。
だが《ミラダンテXⅡ》があれば、逆にいわなが殴り切っていたかもしれない。最後のゲームは、そんな展開だった。

トーナメントから退出し、帰ろうとするいわなにヘッドジャッジのパタが声をかけた。
「いわなさん、以前から憧れていました!」
7年前、第2回関東CSで優勝したいわな。その時に使ったボルコンのリストを見て以来、パタはずっといわなに憧れていたという。

強いから、伝説として名を残すのだろうか。
勝ったから、伝説として名を残すのだろうか。

違う。

全力で戦ったあの日のことが、誰かの記憶に残っているから。
“伝説は、いつまでも語り継がれるから伝説なのだ”。


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【第2回レジェンドCS】予選6回戦:タピ VS ピカリ

DM史上最大規模の個人戦CS、Akashic Record Champion Ship 1st
そこで準優勝を果たした男が、レジェンドCSへやってきた。
彼の名はタピ
2013年ごろから関西のイベントを転戦しているプレイヤーだ。

対面に座るのは、同じく関西のピカリ
ドギラゴン剣からVV8まで様々なアーキタイプを使いこなす彼は、ここ1年余りの間に12度の入賞、そしてCS運営をも経験した。

急速にCSが増え、新たなデュエルマスターズの中心になろうとしている関西。その地域で戦う2人が、激突する。

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【第2回レジェンドCS】予選5回戦:dotto VS ロマノフsign

dottoが競技イベント出場に至るまでの経緯は、他の選手とやや異なる。

関西の選手である彼が、最初に”ガチ”に触れたのはネット。そこからCGIex、DMvaultとネットでデュエルマスターズをプレイしてきた。
そんな彼も、CS初入賞からすでに4年半。入賞回数が20を超える、トップクラスの実力を持つ選手だ。

彼に相対するのは、チームAQUAWAVEロマノフsign。愛知の選手でありながら、実力を買われ関西のチームに所属している。

レジェンドとして、自身の名を刻むのはどちらか。勝てば予選抜け確定となる、第5回戦が始まる。

 

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【第2回レジェンドCS】予選4回戦:いわな VS マルガ

7年前。当時最高峰の競技イベントだった第2回関東CS
ボルメテウスコントロールを使ったいわなは、ドロマーフェルナンドを手にしたライカルとの死闘を制し、優勝した。

5年前。強者が集った前回のレジェンドCS
Nエクスを使ったいわなはトップ8入賞を果たし、次回大会への参加権を手にした。

そして今日。
再び動き出した伝説の場で、いわなは既に3勝を挙げている。

その対面に座るのはAQUAWAVEのリーダー、マルガ。高校生ながら、日本一経験者を擁するチームを率いる選手だ。
岡山CSでの連覇を皮切りに戦績を積み重ね、出場権を手にした。

強さに年齢は関係ない。何度もそれを証明してきたマルガは、いわなに挑む。

 

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【第2回レジェンドCS】予選3回戦:ライカル VS けんし

ライカルけんし
古くからDMをプレイしている2人は、CS黎明期の熱気を知る数少ないプレイヤーだ。ともに、競技イベント最高峰と謳われた関東CSを知っている。

デュエルマスターズを始めてから13年。先に3回戦の席に着いたライカルは、いつだってトーナメントシーンの最前線にいた。
エターナルリーグ、ジェネレートリーグ…最早記録にすら残っていないようなデュエルマスターズの歴史を、彼は確かに知っている。

そんなライカルは認定ジャッジ資格を取得。横浜CSを運営する傍ら、GPの運営にも携わってきた。人望も厚く、インタビューでは多くの選手から「目標」として名が挙がる。

かつても今も、この先も。きっと彼は、あらゆる選手の目標であり続ける。

 

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【第2回レジェンドCS】予選2回戦:PULU VS ハザール

「PULUさん、憧れてました」

宮城からやってきたハザールが言うと、PULUはいつものように謙遜する。

「いや、僕はそんな大したことないですよ」

 およそ8年前、GMにて日本一となったPULU。日本一のタイトルを獲得した選手の多くがデュエルマスターズから離れる中、彼は競技プレイヤーとして第一線に立ち続けている。
結果、おやつのじかんの動画や、自身のブログ「PULU NOTE」を通じ、遠く離れた東北の地にすらその名を轟かせていた。

だから、PULUが賛辞を受けることは珍しくない。
“憧れていた”、”尊敬しています”。
幾度となく称えられ。
“そんな、大したことないですよ”。
幾度となく謙遜してきた。

驕らぬ性格。かつて日本一となり、今でもランキング上位を走る確かな強さ。8年を経てなお彼は不変で、他の選手を魅了する。

中部の英雄である彼に、僕らは今も憧れる。

 

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