【プレイヤーインタビュー】あーさん(チーム仙台)

今回インタビューさせていただいたのは、CS黎明期より精力的に遠征する傍らで運営にも積極的に参加。そして多くのイベントでの入賞経験を持つあー(23歳)さんです。

東北の古豪として知られ、今なお独創的なデッキをCSへ持ち込む彼はどのような人物なのでしょうか?

 

 

■経歴
*入賞歴*
CS:プレイヤー個別戦績(あー選手)

*運営歴*
第1回仙台CS:ジャッジマネージャ
第2-5回仙台CS:主催

 

■インタビュー 
――本日はよろしくお願いいたします。まず、デュエルマスターズはいつごろからプレイされてるんですか?
「確か初めて当てたホイルカードが《暗黒巨兵マギン》だったので、買い始めたのはDM-2からだと思います。最初は買うだけ買って遊ばない人間でしたね。
ルールを覚えて、プレイするようになったのはDM-4から。小2ぐらいの頃だったかな、友達と遊んでました」

――そこからずっとプレイを?
「DM-17ぐらいまでは友達とプレイしていました。そのあたりで部活に入って、時間が無くなってきて…不規則にやったりやらなかったりという感じになりましたね。
DM-18は買ってないんですけど19,20の時はプレイしてて、21は買わずに22を買い、23は買わず…みたいな」 
(※DM-19から不死鳥編開始)

――プレイ頻度が落ちてきたと。
「結局、自然にプレイしなくなっちゃいましたね。
でもそんなときに一番最初のスーパーデッキのCMを見て、デュエルマスターズに引き戻されて。DM-25が出るあたりから本格的に復帰し始めました。

僕は昔から、《母なる大地》を集めて仲間内で一人だけボルバルをぶん回しているような子供だったんですよ。なので、ふとしたことで見たカードキングダムの動画の【母なるロマネ】に感動して。
《龍仙ロマネスク》の情報が出た段階から紋章も集めて、ロマネもパック買いやトレードで集めて【母なるロマネ】を回すようになりました。

まあ、見事に友達がみんな辞めましたね(笑)」

――デュエルロードの参加者が自分だけになるまでナスサファイアを回してた人間を思い出します(笑)
「vaultに登録できたのも、ちょうどこの頃でした。中2ぐらいかな。
同じくvaultでプレイしている人と学校で友達になって、ガチデッキを彼と回してました。ロマネスクが規制された後は、DRも彼と一緒に行きました。
当時はフリーのデュエルスペースどころかそもそもカードショップがなくて、友達の家で回したりしていましたよ」

――ショップがなかった!?
「当時は仙台に住んでたんですが、全然なかったですよ。今はシーガルなんかがありますけれど。
だからパックもコンビニとかで買ったりして。

DRに通い始めたときも、大会を開いている店が市内に3店舗しかなかったんですよ。普通のおもちゃ屋のサニーランドと、ぼったくりで有名な仙台南のファミコントレード、そしてトイザらス」

――ぼったくりって(笑)
「ファミトレはすごかったですよ。ぼったくりもすごいし店長もすごいし、何もかもすごかった。

3店舗の中で、自分はトイザらスのDRに通ってました。中3の…戦国編の頃からかな。
皆で通ってたんですけど、高1になってから他の人たちは飽きちゃって。1人で通ってたら、UMEBA(東北の古豪)と会って仲良くなりました。ドレーンMの時だった覚えがあります」

――しかし、ショップがなかったとは…。
「そうなんですよ、だから権利戦も全然開催されてなくて。
ギャラクシーマスターはハガキでの応募制だったので行けましたが、権利戦制度が採用されたエボリューションマスターは無理でした。権利戦を開いてくれた店が1店舗しかなくて、3回しか出られなかったんです。

一応、万代って言うリサイクルショップもDMを扱ってくれてたんですが、公認大会は開いていなかったんですよね。《サンダー・ティーガー》を3000円買取するような店だったので、DMを分かってたわけじゃなかったみたいですし」

――CSへの出場はいつごろから?
「最初に出たのは第1回仙台CS(2010年)。
CSに出てみたくって、自分たちで大会を開いて出場することにしたんです。LEONさんっていうお父さんプレイヤーが中心になってくださったんですけど、ギリギリまで準備が終わらなくて…前日に何人か捕まえてスコアシートを作ってもらったりして、開催にこぎつけました。

ただ、思ったより参加者が集まりませんでした。それで金銭管理を担当してたUMEBAの収支がマイナスになっちゃったんですよね。以来、彼はCS運営には携わらないようになってしまいました」

――予算管理、難しいですよね。
「そうですね…結局、次の第2回から第5回までは、主催の自分と実質主催のLEONさんが中心となって回していました。お父さんプレイヤーがいてくださって、本当にありがたかったですよ。

この後、誘われて第3回関東CS(2010年)へ遠征することになります。
第2回関東CSで入賞したXkaiさんは仙台の方で、それを知った自分はブログに”仙台の人が入賞してる!”という記事を書いたんです。どうも先方がそれを見てくれたようで、同じ市内のよしみで一緒にDMやろうぜと誘ってくれたんですね。
ちゃま(福島のトップビルダー)たちと仲良くなったのはXkaiさんが切っ掛けです。Xkaiさんは福島にも度々遠征していて、顔が広かったんですよ。
これが切っ掛けで、関東へ遠征することになります」

――第3回って言うと、ネクラギャラクシーなんかの時代ですよね。当時はどうやって調整していたんですか?
「六式さんってわかります?1人暮らしの大学生で、僕らは斎藤さんって呼んでたんですけど、彼の家がたまり場になってました。そこでずっとDMやスマブラしてましたね。

智リットル(かつて関西で活動していたトッププレイヤー)が初めて仙台に来たのは第1回仙台CSのときなんですけど、彼は斎藤家が大好きでした。ほんと、何度も来てましたね。

関西から仙台まで鈍行で来ようとすると、始発で家を出て終電で仙台に着くルートになるんです。一度の乗り換えミスも許されないんですけど、彼は普通にミスって福島のホテルに泊まって、翌日合流…なんてことが良くありました(笑)
わきたも一緒に来たことがあったけど、あの時も確か福島で一泊してたし…ストレートで来れたことの方が少ないんじゃないかなぁ

しかも、この時のリットルは携帯を持ってなかったんです」

――携帯を持ってなかった!?
「ええ、だからリットルはPSPを使って僕らと連絡を取ってました。
フリーのWi-Fiスポットを見つけると、PSPでツイッターにつないで連絡を取る、みたいな。今思うと、関西から仙台まで来る人間とそんな連絡の取り方してたってすごいですよね(笑)」

――それもすごいし、始発で出て終電で到着というのもすごい…それだけ斎藤さんの家が魅力的だったんでしょうね。
「ほんと楽しかったですよ。1度、18人来て16人泊まったことがありましたからね。大学生の一人暮らし、12畳の部屋に(笑)」

――1人あたり1畳もないじゃないですか(笑)
「そうそう(笑)
寝る場所がないんで麻雀卓用の机の上に3人寝て、机の下に4人寝て、廊下に2人…みたいな感じでした。

なんでそんなに人が集まったかって言うと、カードがなんでもあったからなんです。おまけに斎藤さんはカードの整理をきっちりしてて、カード名を言うとすぐに探し出してくれるんですよ。当時の僕らは”リアルvault”って呼んでました。
もちろんデッキもたくさん持ってました。5-60個はあったんじゃないかな。大会開けるじゃん!って言って、たまに開いてましたよ。

あまりにも斎藤さんの家がすごすぎて、自分はカード持たなくなっちゃいましたね。
おかげで斎藤さんが卒業して、秋田に帰ってからは勝てなくなっちゃいました(笑)」

――調整環境がなくなってしまったんですね。
「そうなんですよ。それがE2(2012年)の頃で、DMから離れてポケモンカードをプレイするようになりました。
これはポケカの公式大会とE2のエリア予選が被っていたことも影響しています。どちらを取るかとなって、自分はポケカを取りました。
E2限定戦の調整には結局付き合ってたんですけどね。

この出来事を通じて、環境がないと勝てないんだなってことを痛感しました。ガルドCS(2012年)で予選を抜けて以降、次に抜けるまで3年ぐらいかかりましたもん」

――懐かしい!【突然変異】を使ってた時ですよね。
「そうそう、あの時です。組んだ後にデッキ名どうしよう…って言ってたら、リットルが”これって突然死ぬから、遊戯王の突然変異と一緒じゃん!”って言い出して決まったんですよ。

【突然変異】は《デビル・ドレーン》と《ボルバルザーク・エクス》、《憎悪と怒りの獄門》で勝つデッキで、構築を6人でシェアしました。ところが《パーロックのミラクルフィーバー》が強すぎて、6人いたのに予選5回戦を通して誰もドレーンを唱えなかったっていう(笑)」

――…コンセプト崩壊してません?
「してます。獄門は唱えたんですけどね…。まあ、フィーバーの強さを教えてくれたデッキでした。
この大会の後、関東の【Nエクス】にはフィーバーが入るようになったらしいです。

ガルドCSの11日後に行われた第1回レジェンドCSは都合で行けなかったんですが、もし行けたとしたら【突然変異】からドレーンを抜いて出てました。
この後から徐々にポケカへ移行し始めちゃいましたね」

――ポケカ、BWからXY初期あたりまでプレイしてらっしゃいましたよね。
「ですね。1-2年プレイして、チームの限界を感じて辞めました。
ポケカにも調整チームはいくつかあるんですけれど、どこも10人以上。対してこっちは自分とちゃまの2人だけ。勝負にならなかったですね。TCGは集団戦だと実感しました。個人でやるもんじゃないですよ。

実は同じ時期に、遊戯王も少しプレイしてたんです。地方でなら自分も勝てるんじゃないかなーと思って。
その頃のCSで、スタースクリームっていう有名プレイヤーと当たったんですけど、文字通り次元が違いました。他に青森のジョーカーっていう方にも当たって、同じことを感じました。
結局、DMに戻ってきちゃいましたね」

――次元の違いというと?
「遊戯王って相手ターン中にも動けるじゃないですか。MtGとかもそうですけれど、あっちはコストからまだ構えているカードを読める。
遊戯は違うんですよ。コストがないから、相手の細かい動きから伏せカードや手札を読んで動いていかなきゃならない。

その読みのレベルが全然違ったんです。何をケアしなきゃいけないか、は覚えれば対応できるんですけど、相手が実際に何を持っているのかという読みは違う。正解がないんですよね。だから、教えてもらえないと上達しなくて。

周囲にやり込んでるプレイヤーがいるわけでもなくて独学でしたし、始めたのが征竜-魔導期という伏せカードをほぼ使わない時期。読みが鍛えられる環境じゃなかったんです。
征竜-魔導期の終焉とともに、次環境のカードパワーに物足りなさを感じたこともあって辞めました」

――いろんなゲームをプレイされてたんですね。
「そうですね。他にはヴァンガードもプレイしてました。公式大会の権利は取ったんですが、トッププレイヤーと当たった時に遊戯王と同じく次元の違いを感じてしまって…辞めちゃいましたね。

自分の人脈がDM寄りだったので、まだDMならトッププレイヤーにも対抗できるかなと思い、結局復帰しました。
復帰してまず、カードを買いましたよ!遠隔での調整結果共有は難しいですし、何より手元にカードがないと一人回しも出来ない。

ポケカの時はカードはあったんですけど、人数が足りませんでした。自分とちゃま以外にもプレイしている人間はいたんですが、僕らがカードを集める速度に彼らが追い付いてこれなくて。
なんでも真剣にやると、どうしても熱量の差が出て来ちゃうんですよね。カジュアルに遊ぶのが楽しい人と、どうしても勝ちたい人とで。
でもちゃまは福島住だったので、気軽に会って回すってわけにもいきませんでしたし…カードやるなら関東ですよ、ほんと」

――地方と関東ってそんなに違います?
「関東と地方だと、そもそもCSに出ているプレイヤーのレベルが違います。2016年の8月ごろは【黒赤緑ドギラゴン剣】の全盛期でしたが、仙台のCSでバスターを使ってたのは自分たちだけでした。
各プレイヤーが自分の好きなデッキを使っている混沌とした環境なんですよね。だから最近で言うと、【ドリスコジョバンニ】が勝てない。

同じ仙台のハザール君がジョバンニを使ってたんですけど、《天雷王機ジョバンニX世》を出した返しに《ローズ・キャッスル》を貼られるとか…そんなのばっかで(笑)」

――確かに、関東でそういう話は聞かないですね。
「自分はこの環境を乗り越えるために、5Cやループのような環境に影響されづらいデッキを好んで使っていました。
予選を抜けられなかった3年間に学んだんですよね、わざわざ変なデッキを選んでカードパワーを下げるなんて無意味だって。自分からハンデを抱えにいく必要はないんです」

――DMに本格復帰されたのはいつ頃ですか?
「DSの権利戦が終わった後だったかな、DSの時のエリア予選は出てないので。
2015年は関東でプレイしていましたが、あんまり時間は割けなかったですね。仙台へ戻ってからの方が真面目にDMしてます。カードを揃えて一人回し出来るようになったのがやはり大きい(笑)
後は、vaultでちゃまと調整して…って感じですね。

リアルでの調整は…64人のCSがそうかも。64人規模はもう、デッキを試すためのイベントだと思ってます」

――ありがとうございます。次に、影響を受けたプレイヤーを教えてください。
「まずは、UMEBA。”超えられない壁”を感じた初めてのプレイヤーですね。
今の彼はほとんどDMやってないですけど、対等な状態だったら今でも勝てないと思ってます。

次にちゃま。彼と知り合えたのは大きかったです。優秀なビルダーで、外れもいっぱい組んでますけれど、滅茶苦茶すごいデッキも組んでます。

最後はライカル(認定ジャッジ/横浜CS主催)さん。川崎CSで初めてフリーデュエルをさせていただいたんですが、ちょっと回しただけで自分との格の違いを感じました。昔からずっと勝ってましたし、最近でもちょっと調整しただけでまた入賞してますよね。
E1、Revのエリア予選の時に一緒に調整したこともあります。今も昔も変わらず強いプレイヤーだと思ってます」

――皆さん、やはりライカルさんの名前を挙げられてますね。人徳がうかがえます。次に、思い入れのあるデッキを教えてください。
「デッキか…自分は《クリスタル・メモリー》を使えるデッキが好きなんですよ。まずサーチカードを使って盾を確認、そこからゲームプランを構築していくタイプのプレイヤーなので、《神秘の宝箱》入りの5Cなんかも好きです。
昔組んでたハイランダー気味の5Cにはメモリーを4枚積んでいました。他の1積みのカードをサーチしてくるための、シルバーバレットとしての運用でしたね。

だから、デッキで言えば【刃鬼】とか【天門】なんかも好きです。天門と言えば、去年の1月に使った【天門アダムスキー】も思い出に残っています。

これは元々えばと(関東の古参プレイヤー)さんがアダムスキーを使うために組んだデッキで、それをみんなで調整して強くしていったんですよね。ところが最後の最後まで誰もアダムスキーを抜いた方が強いってことに気づかなくて、《ペイント・フラッペ》を絡めて殴り切る構成になりました(笑)」

――アダムスキーのインパクトはすごかったです!今後のDMには、どうなっていってほしいですか?
「チーム戦GPを開いて欲しい、と思ってます。このゲームって個人だと上手い人でも勝率が安定しないんですけど、上手い人3人のチームなら安定しますから。

後は…弱いカードしかない、いわゆる”塩セット”がなければそれに越したことはないですね。一時期の《ピクシー・ライフ》しか強いカードがないパックとか、そういうのはちょっとなぁ…最近はレジェンドレアがひたすら強いんで、大丈夫だとは思うんですけどね」

――最後に一言、お願いします。
「結構長くDMやってますけど、楽しくやれたのはいろんな人と知り合えたおかげ!
おまんちん小隊やPULUさん、原一派の人たち…全部は語り切れなかったけど、楽しく遊んでくれた人たちがまだまだいっぱいいます。
皆には感謝してます!」

――ありがとうございました。

 

  ■インタビューを終えて 
あーさんと初めてお会いしたのは、第5回関東CSのとき。
僕は愛知、あーさんは宮城という距離の遠さが祟り、会ったのはその時だけ。でも、なんだかんだでいまだに付き合いが続いています。互いに同じTCGをプレイしていなかったら、絶対に起こらないことですよね。

彼は今も昔も変わらず強いプレイヤー。そして、デッキの解説もうまい。自分のデッキ解説記事を書く人が少なくなった最近では、貴重な選手です。
去年、彼が書いてくれた【5Cドラゴン】の解説記事は個人的にとても面白くて、思わずカードをそろえて組んじゃいました。
どれぐらい良かったかというと、思わずボーラスを買ってしまうぐらいには良かったです。

ちなみに彼、もうすぐ開催の第2回レジェンドCSにも出場予定とのこと。前回優勝のラスゴさん(東北勢)に続き、またも東北勢が強さを見せつけるのでしょうか?

あーさんが、今後も楽しくデュエルマスターズをプレイされることを願っています。


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