デュエルマスターズプレイヤーなら誰だって、「あの竜」の名を知っている。
けれど「あの竜」が支配した時代そのものを知っているプレイヤーはもう、稀だ。この時代の戦いは、公式の記録にも残されてはいない。
デュエルマスターズの始まりからはや15年。時の移ろいとともに記憶は薄れ、後にはただ名だけが墓標のように残るばかり。
記録から失われた時代の記憶を書こう。過去を語らずして現代は語れない。
そう思ったのは、様々な選手にインタビューを重ねていた時のことだ。取材に応じてくれた彼らの話を聞くうちに、このゲームの競技シーンはほとんど一般に知られていないということが分かって来た。
多くのプレイヤーは、私生活の変化とともにゲームへの向き合い方を変える。
もし誰も彼らの物語を書き残さなかったとしたら、ゲームから離れたプレイヤーの物語は失われてしまうだろう。
それだけでなく、彼らが知っている競技シーンの物語もともに失われるだろう。
そう思い、取材を始めた。まずは黎明期の競技シーンを戦い抜いた関東勢へ。
最初にコンタクトが取れたライカルは、意外そうな顔をした。
「今更じゃない?昔の話なんて」
「そんなことないですよ。少なくとも僕は知りたいです」
「そういうものかな…君が知りたいのなら、協力するよ。俺なんかで良ければ」
と、彼は微笑んだ。
「古い話だけれどね」
そう呟き、過ぎ去りし日々へと思いを馳せる。
2004年6月19日。幕張メッセ。
あの忘れ得ぬワールドホビーフェア2004。
後にデュエルマスターズ史上最悪の暗黒時代と呼ばれる、”ボルバルマスターズ”が始まった日へと。
あの日、彼らは大きな期待を胸に会場を訪れた。
会場で先行販売される新パック、DM−10。そこにデュエルマスターズ史上初の多色カードが収録されているのだ。
長い入場待機列、そして物販列を経てようやく手に入った新パック。ライカルは、それをそっと開ける。
目当ては、《陽炎の守護者ブルー・メルキス》や《曙の守護者パラ・オーレシス》。
この年の3月に《サイバー・ブレイン》や《ストリーミング・シェイパー》が殿堂入りによって失われて以来、プレイヤーたちは新たなドローソースを探し求めていた。
そして彼らは見つけたのである。壊滅的な打撃を被ったはずの水文明から、新たなドローソースを。
そう。DM-4で既に登場していた《アクアン》こそ、プレイヤーたちが必要としたカードだった。より強力な初期のカードたちの陰に隠れ、今まで見過ごされていたのだ。
条件付きながらも《サイバー・ブレイン》や《ストリーミング・シェイパー》を超える5枚ドロー。闇と合わせたアクアンブラック、光と合わせたアクアンホワイトはたちまち広がった。
だからこの日、プレイヤーたちは水や光や闇のカードへ意識を注いだ。
《陽炎の守護者ブルー・メルキス》。
《腐敗電脳メルニア》。
《電脳聖者エストール》。
《曙の守護者パラ・オーレシス》。
火や自然のカードなんて、誰にも相手にされなかった。そんな文明は初めから存在しなかったかのように、綺麗さっぱり忘れ去られていた。
誰かが言った。
「水文明こそがデュエルマスターズだ」
それを否定する材料はなかった。水文明が世界を支配しているのは明らかだった。
そんな空気の中で、ライカルはベリーレアを引き当てた。悲しいかな、眺めてみればそれは火と自然の多色カード。
それでも律儀にテキストを読んだライカルは目を疑った。
「あなたはゲームに負ける」
そう書いてある。
信じられずにもう一度読み直す。けれど文章が変わるはずもなく。
ライカルがゲームをプレイするのは、勝つためである。
彼だけではない。競技プレイヤーなら誰だってそうだ。
ならばなぜ、ゲームに負けるカードを使わなくてはならないのか?
至極真っ当な疑問に答えは出ず、ライカルはそっとそのカードをしまった。二度と見ることはないだろうと思いながら。
まさか数分も経たないうちにテキストを読み直す羽目になるとは夢にも思わずに。
なおも新カードを読み進めるライカルたちの元へ帰ってきたのはあべけんである。彼は”サバイバルバトル”への参加を選び、意気揚々と飛び出して行ったはず。ガンスリンガー形式で、勝てば勝つほど賞品が増えるサイドイベントだ。
しかし、賞品を稼いで来たにしては帰りが早い。
皆が顔を上げたところで、あべけんがポツリと言った。
「ボルバルに負けた」
全員が訝しげな視線を送る。まず”ボルバル”という単語が何を指すのかわからない。
はてと首を傾げたライカルだったが、彼の記憶はかろうじて先ほどしまい込んだカードの名前を提示した。
ボルバルザーク。《無双竜機 ボルバルザーク》。
思わずカードを引っ張り出すライカル。”ボルバルザーク”という単語が目に飛び込んできた。そのままカードは机に置かれ、友人たちが覗き込む。
あべけんが言ったのは、このカードのことだろう。
だが、これに?これに負けた?あべけんが?
2004年当時、メタゲームの情報は乏しかった。
誰もがTwitterを使い、ネットの情報へ平等にアクセス出来る現代からは信じられないかもしれない。この時代、ネットの情報に接続できるプレイヤーはわずかだっただなんて。そしてそのネットの情報すらもわずかだったなんて。
必然、実力差は歴然とする。
強いプレイヤーは、その実力通りに勝つ。
そんな時代だった。そして初代レギュラークラス日本一であるhiroを擁するライカルらのグループは、紛れもなく強者の側に立っていた。
だから彼らは”弱いと断じたカードに仲間が負けた”という目の前の状況を信じられなかったし、あべけん自身もそうだった。
俺は思い違いをしているのか。
デュエルマスターズは水のゲームじゃないのか。
何か、とんでもない見落としをしているとでもいうのか…。
逡巡の末、ライカルは机に置かれたカードを取り上げた。
そして彼らの一行は、デッキを作り始めた。
日本一決定戦に向け、エリア予選が始まったのは7月のこと。
この時点でトップメタ争いを演じていたのはアクアンブラックとホワイト、そしてグレーである。
5月の末に発売されたコロコロ・ニュージェネレーション・パックの目玉である《凶星王ダーク・ヒドラ》。それをアクアンブラックは手に入れていた。
今も当時も貴重な、闇の設置型ドローソース。これさえあれば《ロスト・ソウル》にも耐えられるというのが当時のプレイヤーの認識だった。
相対するアクアンホワイトは、DM-10から《パラ・オーレシス》を筆頭としたガーディアンが加入。これまでイニシエートに依存していたアクアンホワイトというアーキタイプを分裂させ、アクアンガーディアンと呼ばれるタイプの確立に至っている。
無論ブラックとホワイトを混ぜ合わせた”グレー”も選択肢として存在し、メタゲームは《アクアン》率いる水文明を中心に回っていた。
《スケルトン・バイス》が使われなかった。そう言えば、この時代の空気が伝わるだろうか。
《アクアン》は4マナで5枚ドロー。
《スケルトン・バイス》は4マナで手札を2枚破壊。
これでは使われない。道理である。
マナ加速から《ロスト・ソウル》を唱える方がはるかに良い手と言えよう。
だからこの年の全国大会、エターナル・リーグの予選が広島で始まった時、誰もが《アクアン》を信じた。それだけのパワーが《アクアン》にはあった。
続く新潟でも福岡でも、それは変わらなかった。水文明は生態系の頂点に傲然と君臨していた。
けれど。
それを信じなかった選手が、いた。
真っ向から否定した選手が、いた。
迎えた4地区目、名古屋。その決勝。
当時の競技プレイヤーの間では名を知られた強者、蒼雷は決勝にいた。決勝の場で彼の前に立ちはだかった男こそ、その選手だった。
この日、蒼雷は《アクアン》を持ち込んでいた。
ブラックでもなくホワイトでもなく、グレー。イニシエートをベースに、《ロスト・ソウル》対策として《ダーク・ヒドラ》を搭載している。
全くのところ、彼と彼のデッキは優勝するに足る実力があった。この春の公式大会、スプリングチャレンジバトル名古屋で準優勝を勝ち取った蒼雷だ。ここまで勝ち上がってきたのは当然だった。
きっと最後の戦いにも勝っていただろう。相手があの選手でさえなければ。
蒼雷の前に現れたのはろっぴー。
そのSCB名古屋の決勝で、蒼雷と優勝を争った選手である。
あの時、蒼雷は負けている。
そして今、もう一度同じ舞台で戦える。千載一遇の好機。
だが。
ろっぴーが持ち込んだのは、《アクアン》ではなかった。
ろっぴーが持ち込んだのは、水文明ではなかった。
火と自然のデッキ。
蒼雷のアクアングレーとは正反対の色のデッキ。
それは”ステロイドボルバル”だった。
直前、準決勝でろっぴーは危ないゲーム展開を強いられていた。相手はすばる。
ライカル、そして”絶対王者”hiroと並び関東3人衆と謳われたこの選手を相手に、ろっぴーの《ボルバルザーク》はシールド・トリガーを踏み抜いてしまう。《デーモン・ハンド》を。
《ボルバルザーク》が破壊され、ろっぴーのクリーチャーは0体。しかし、相手のシールドも0枚。
ろっぴーが最後のターンを迎える。
カードを引こうと、山札に手をかける。
息詰まる一瞬の後、果たしてろっぴーは《エグゼドライブ》を引き当ててゲームは終わった。
《ボルバルザーク》が与えた1ターンで、ゲームが決まった。
《ボルバルザーク》は、強かった。
その強さに気づいたろっぴーも、強かった。
そして《ボルバルザーク》の強さは決勝でも変わらず、蒼雷を打ち倒した。
見向きもされなかった2つの文明が、水文明の支配を打ち砕いた。
こうして赤と緑の精緻なリストは、ろっぴーに優勝をもたらした。
春に続き、蒼雷を破っての2連覇。
けれど。
それは彼の実力を世に示す結果だったけれど。
《ボルバルザーク》の脅威を世に示す結果では、なかった。
だからプレイヤーたちはその後も変わらず《アクアン》を使っていた。彼らの信仰は揺るぎなかった。
火と自然のデッキなんてただの地雷さ。プレイヤーが強かったのさ。
その認識は変わらなかった。《アクアン》は名古屋の結果が嘘のように勝ち続けた。
けれど僕らは知っている。
この《ボルバルザーク》は、この時の《ボルバルザーク》は、僕らがよく知るあのアーキタイプではないことを。
名古屋で吹き荒んでいたのは、粗削りで未完成な竜が起こす暴風雨。
流転するメタゲームを完結させる嵐にはまだ、至らない。
そして迎える最後の予選、関東エリアは幕張メッセ。
時代の始まりと同じ場所へ、あの選手が現れる。
“ボルバルブルー”を携えて。